14回目のカンヌ


14回目のカンヌにやってきた。
現在の正式日本語名は
カンヌライオンズ国際クリエティビティ・フェスティバルだ。
91年に当時の出向先W社長に派遣していただいたのが最初だ。
22年前になるから、もう遠い昔だ。
以来、審査員を務めたり、費用を積み立てて同居人とやってきたり
社のセミナーの企画・スピーカーを務めたり、縁の深い街になった。



   (JAL機内食二食目には醤油ラーメンも登場する)


97年にフィルム審査員に選ばれ世界の同僚たちと話したとき、
「10年通わなくてはカンヌのコンテキスト(文脈)は分からない」
と言われた。
そんなことを言われても日本からは距離もあるし、
バカにならぬほど費用もかかる。
できるわけがないだろう、と内心思った。
一生に一回、会社から派遣してもらえればそれだけで幸運、
という時代だった。
いまでも大方の人にとって事情はそうは変わっていないだろう。



   (初日の長い長い旅を終え、ホテルそばでひとまず乾杯)


けれど一途に思い詰め、他の娯楽をあきらめ貯金を続け
早めの夏休みとして休暇を取って自費参加しているうちに
別のチャンスをくださる上司たちに巡り会えた。
幸運以外のなにものでもない。



   (イタリアが近いせいか、薄く焼いたピッツァがうまい)


だから自分の研鑽はもちろんだが、
どこかで誰かに学んだこと、自分の創見をお返ししたいと願うのだ。
長くて短いカンヌの一週間が今年も始まる。
毎年これが最後だと思って自分に少し気合いを入れてみる。