クリッピングから
毎日新聞2020年12月26日朝刊
「音のかなたへ」(梅津時比古)
”水版画”の目的
月一回、最終土曜日に掲載される
梅津時比古のエッセイ。
音楽を奏でている文章を読むのが僕は好きだ。
(略)
フランスはバスクの海近くの岸辺で生まれたラヴェルも
波に感化された芸術家だろう。
彼の《水の戯れ》や《オンディーヌ》に接すると、
湖のさまざまな波の模様が見えてくる。
一瞬、浮かんでは消える波の透きとおった線を綿密に写し取ったようだ。
精緻を極めた中に、見えにくい半音階やさまざまな音があふれ、
水の精のオンディーヌの出没を取り巻く波がうごめいている。
ドビュシーの《版画》にたとえて言えば、
ラヴェルのこれらの曲は”水版画”なのではないだろうか。
誰もできないに決まっている水面に線を刻むことを、
ラヴェルは試みていたのかもしれない。
どのように演奏しても、次々に波が来て、究極の演奏はあり得ない。
最近、カント哲学がしばしば取り沙汰されている。
自然と美に関するカントの「目的なき合目的性」も、
波の先端が描く模様を見ると自分なりに分かりやすい気がした。
波は来る度に砂に違う姿を刻むが、
しかし常に私たちが美として意識するものを創り出している。
- 作者:梅津 時比古
- 発売日: 2007/11/27
- メディア: 単行本