クリッピングから
新潮社PR誌「波」2022年12月号
(表紙の筆蹟 北村薫/版画 大野隆司/表紙デザイン 佐瀬圭介)
「編輯後記」より引用します。
◎「新潮社クラブ(社の近くのカンヅメ施設)に
川端、三島、開高健たち文豪の幽霊が出る」という噂がありますが、
前二者はクラブとは縁薄く恐らく泊まったこともない筈で、
残念乍(なが)ら出そうにありません。
開高さんはクラブに半年も籠もったのに
『花終わる闇』を三十七枚しか書けなかったり、
そのくせ自宅にクラブの部屋と似た書斎を作ったりで
情念が残っていそうですが、さて。
◎僕がこの作家の盟友、谷沢永一さんに
「クラブに開高さんの幽霊が出るんですが、
派手なセーターの太った紳士が大声の大阪弁で
『哀れな開高です』と挨拶して一口噺(ジョーク)を始めるから
全然怖くないんですって」
と実に適当極まる話をしたら、嬉しそうに
「彼はクラブが好きでしたね。
新潮社(おたく)のQ重役が焦(じ)れて
『半年で三十七枚とは何事だ。
三島さんなら疾(と)うに一冊書き終わってるぞ』。
この一言で開高はパンッと出て行ったんです」。
茅ヶ崎の自宅、つまりクラブの部屋に似た書斎が作られるのは
飛び出た直後のこと。
(略)
◎クラブ連泊中の開高さんが度々出前させたのは
某蕎麦屋の鍋焼ウドン。
作家はその凡庸さを連綿と描写し、だが
「ここの鍋焼ウドンに独立排除的な
センチメンタル・ヴァリューを感じている(「励む」『白いページ』所収)。
志ん朝(矢来町)師匠もここの出前のもりを冷蔵庫に入れ、
翌朝酒でほぐし、ツユをかけてたぐるのが好きでした。
この至極普通の町蕎麦屋、今なお健在です。
毎月の「後記」、
洒脱な筆さばきは、本誌編集兼発行人・楠瀬啓之か。