物みな壊れる春


90°開いて止まるはずの眼鏡のツルが
なぜか180°開いてしまう。
同居人の眼鏡を踏んづけてフレームをゆがめてしまう。
ショルダーバッグの留め金が折れてしまう。
電子辞書の液晶画面が表示をやめてしまう。
物みな壊れる春である。



よくしたもので、
行きつけの眼鏡屋はすばやくメーカーの工場と連絡をとり
無償で修理を引き受けてくれる。
ショルダーバッグや電子辞書は
インターネットで調べて店舗に連絡したり、
メーカーのサービスセンターに状態を書き添えて送れば
有償ではあるが、ちゃんと元通りに直して送り返してくれる。
店やサービスセンターまで出向く必要はなく、
ネットと郵便、もしくは宅配便の連携プレイですべて完了する。




不況の中で倹約を求める時代には
物を大切にして長持ちさせる必要がいやおうなく生まれるから
まんざら悪いことばかりではない。
商店街では服の修繕・リフォームの店がまずまず繁盛しているし、
子育ての一時期だけ必要な物は
買うのをやめ参加者同士が互いに貸し合うコミュニティサイトが
ネット上で活発に機能し始めている。



広告コミュニケーションの仕事に携わる僕たちも、
消費のための消費を促すことでなく、
この時代の生活サイクルに合わせたコミュニケーション活動を
企業と顧客の間で取ることを要求されている。
そのためインターネットやモバイルが欠かせない。
ゲームのルールがすっかり変わってしまったのだ。



僕は壊れた眼鏡を自分で直すことができないし、
壊れたバッグの留め金も電子辞書も自分では直せない。
自分に代わってどこかで修理する人がいてくれることに感謝しつつ、
自分も仕事を通じて誰かのために役立ちたいと自戒する。
ご飯のために働くことが浮き世ではあるけれど、
誰かのお役に立ちながらご飯を食べたいと思うのだ。