人類は忘却する

仕事を終えると30分ほど早足でウォーキングをしながら
硬くなった身体と心をほぐしてやる。
霞ヶ関を抜け、お堀端のランナーたちを横目で眺め、
国会議事堂に向かう。
なんだかこのあたりは緊張感が漂う。
警官が多くいたり、
機動隊のバスが停まっていたりすることも関係あるかもしれない。



国会議事堂は日本の歴史を眺めてきた存在である。
暴力も流血も裏切りも無数に見てきた。
過ぎ去ったはずの歴史という時間が、
陽が沈み、あたりに人気が少なくなると
この界隈に蘇ってくるのではないか。
国会議事堂に向かう道に戦車が走っていても少しも不思議ではないし、
警官に尋問され僕がそのままどこかに連れ去られても
誰も気づかないような気がする。



すべては平成の平和の中では妄想だが、
ほんの60年ほど前にはこの国は戦争のただ中にいたのだ。
60年の時間など歴史から見たら誤差に過ぎない。
デイヴィッド・ハルバースタム
『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』を読み終えたばかりだから
よけいそんな妄想にとらわれるのかもしれない。


以前訪れたポーランドのナチ時代の強制収容所の入り口に
こんな意味の言葉が書かれていた。
「人類は忘却する。
 それゆえこの施設を昔のままの姿でここに残す。」