僕の英語勉強法ー英語とJOYの接点を見つける(第2回)


★カンヌでの試練が900点の壁を破らせた
 

  ●中山さんの入社4年目当時のTOEICのスコアは
  735点と記録にありますが、
  受験前になにか特別な勉強をしたんですか?


自分はヘソ曲がりな性格で、
こんなに世間がTOEICTOEICと騒ぎ出す前、
10数年くらい前まではしょっちゅう遊びで受けていたんです。
3ヶ月にいっぺんくらいの間隔で大学生たちに交じって
近くにある大学キャンパスの講義室で週末に受験していました。
1回6,000円で、毎回新しい問題を作ってもらって解くんだから
ずいぶん遊べます。
飲みに行くのを1回休めば、それでチャラです。



  ●社外受験をたくさんしていたということでしょうか?


いえ、社外受験しかしていません(苦笑)。
英語ができなければ一人前のビジネスマンでない
と世間が騒ぐ時代が来るのは予測していました。
そのとき日本ではきっとTOEICが基準になるだろうと思っていました。


まぁ、いずれ、TOEICを受ける費用も会社が持つようになるだろう、
さらには一定スコアをクリアすることが
義務づけられる時代が来るなと思っていました。
僕はそういうのは大嫌いなんです。
自前で自分の意志でやらなければ「遊び」ではない。
「お仕事」「お勉強」になってしまいます。



英語の必要性も分かるし、
そうでなければ会社も立ち行かなくなるのは理解しています。
でも、方法論は任せてほしい。
もう義務教育の子どもじゃないんだから。
受験料に困るほど給料が安い訳でもない。
だったら結果を出すから、とやかく言わないでね、
というのが僕のスタイルです。
スタイルというより、意地というのか、やせ我慢ですね。



ダイエットと同じで
体重の代わりにスコアを記録しておくと進歩の具合が励みになる。
その点でTOEICは物差しのひとつになりますね。
語学学習は停滞期間が長くて、
ときどき「あれっ?」と自分も驚くくらいの進歩があって、
また停滞が続きます。
だから下がることもありますが、
スコアが上がっていくととても励みになりますね。
人間、励みがなければ続きません。


  ●TOEICも回数を重ねていくと
  慣れていくっていうのはありますね。


リーディング、リスニングでのTOEICの満点は990点ですよね。
900点台ってどんな境地なんだろう
と受験を続けるうちに興味が湧いてきました。



12歳のとき父の影響を受けて
英語に取り組んだのが第一ステップとすれば、
30年後、42歳でカンヌ国際フェスティバル・オブ・クリエティビティの
フィルム部門審査員を務めたときが
第二ステップの入り口だったかもしれません。
僕の国際広告賞審査員デビューは1997年のカンヌで、
なぜか一番高いハードルが最初にやってきました。


  ●カンヌでは何人くらいで審査するんですか?


フィルム部門の審査員は審査委員長を入れて23人。
英語を母国語とする人が1/3くらいいて、
残りの2/3が僕のように英語を第二言語とする審査員でした。
日本では東映エージェンシーが幹事会社で、
そこの倉庫に出かけて
日本で入手できる限りの過去のカンヌ入賞作品を発掘しました。
そのコピーを全部取って会社の資料開発部にも寄贈しました。


数十年分の入賞リールを繰り返し繰り返し見て
カンヌの文脈を頭に叩き込むと同時に、
フィルムの会話特有の英語の言い回しを習得することを心がけました。
普通の教材で使われているより下品な英語が多いんですよ(苦笑)。
これが分からないと審査自体ができない。



そうした準備のおかげもあって、議論のときに僕が、
「二十何年前のスペインの飲料の作品で、
同じアイデアでさらに素晴らしい表現があったことを
みんな覚えているでしょう?
だったら、この作品にゴールドをあげるのは評価しすぎだと思います」
などと発言できる訳です。
「お、あいつ、アジアの片隅から来たくせに
俺たちと同じカンヌの文脈を身につけているじゃないか」
と相手も一目置くのです。
そうした文脈を一切知らずに
自国作品だけを推そうとする審査員の発言力はだんだん落ちていくんです。


  ●広告についてのナレッジの総量が
  審査に影響するということでしょうか?


それは確かにありますね。
当時、広告表現のストック、知識に関しては
僕も相当上のレベルだったと思います。
インターネット以前の時代ですから、
そうした知識を得るためには相応の努力をしないと手に入らなかった。


自分にできる努力は全部してきたつもりだったのに、
なにか全然足りないという感覚だったんです。
ただ英語を使えたり理解できるレベルではないなにかが
欠落している感じでした。



カンヌ審査から3ヶ月後のTOEICスコアが780点。
7ヶ月後に860点。1年3ヶ月後に初めて900点を突破して910点。
現在までの僕の最高記録はカンヌ審査から2年半後の920点です。
その後、僕はTOEICを受験していません。
ですから、カンヌ審査後に
一気に800点、900点の壁を越えたことが過去のデータで分かります。


けれども、もし満点の990点を取って
カンヌ審査の場に挑んだとしても、
こうした真剣勝負の場では不足することに代わりはないだろう……
そう思いました。
TOEIC満点以上の英語能力が初めて必要になったのです。


自分の考えを伝える精度を上げ、
自分に対して中間的、懐疑的、もしくは批判的意見の持ち主の考えを
議論を通じてひっくり返せるかどうか。
それをすべて英語でできるようになることが、
カンヌ審査経験を経た上で僕の次の目標になりました。



★50代でも英語力には伸びしろがある


  ●カンヌで悔しい思いをして、
  それをきっかけに英語学習においてなにか変えたり、
  強化したものはあるのでしょうか?


英文の広告業界誌3誌の定期購読を始めました。
ヨーロッパ圏の「Campaign」、アジアパシフィック圏の「Media」、
中国圏の「Longyin Review」です。
広告クリエーティブに関する情報を
翻訳でなく英語で直接大量に読むようになると、
業界の動きも分かるし固有名詞にも慣れてきます。


他国の審査員はこうしたメディアを日常読んでいますし、
カンヌは10年通わなくては文脈が理解できないと彼らに教わりました。
そうは言っても、会社が毎年派遣してくれる訳もないので、
他の娯楽をあきらめて毎月8万円の「カンヌ預金」を始めました。
98年、99年は有給休暇を取りその資金で妻と一緒に自費参加しました。


広告の中だけで勉強していては視野が狭くなるので、
東京大学教養学部に革新的英語講座があると聞くと、
そのテキストブックを購入して読み込みました。
“The Universe of English”シリーズです。


The Universe of English

The Universe of English


国際広告賞の審査員、国際コンファランスのスピーカーを依頼されたり、
自分からも売り込んだりしながら経験回数を増やしていきました。
そうした経験を積みながら自分を鍛えることで、
もう一段階上の英語能力レベルに挑戦する準備が
整ってきたのだと思います。



2006年から08年まで社の費用で
新設「ベルリンスクール・オブ・クリエーティブ・リーダーシップ」に
当時の出向先Fでの勤務のかたわら通わせてもらいました。
英語で80ページの卒業論文とプレゼンテーションの結果、
全受講生でトップ3の成績を修めてMBAを取得できました。
50代でもまだまだ英語能力に伸びしろがあることが証明でき、
自信になりました。


(つづく)


  ●このインタビューは
  筆者が勤務する会社の社内サイトに掲載した内容を
  社の了承を得て一部加筆修正して転載しています。