気づかいと非効率


会社のエレベーターから降りるとき
いつも考えることがある。
ひとりなら気づかい、ふたりなら非効率。
エレベーターには両側に開閉ボタンが付いている。


乗客が降りるとき、
ボタンに一番近い人が開ボタンを押して
待ってくれているのはありがたい。
けれども、両側の人間が
それぞれ開ボタンを押しているのは非効率だと思うのだ。



そもそも日本以外の国でエレベーターに乗り降りするときに
ボタンに一番近い人が開ボタンを押して待っていることはとても少ない。
だから、日本は気づかいの国である。
それ以上に両側のボタンをそれぞれが押して
全員が降りるのを待つ人は日本以外で見たことがない。


相手がボタンを押しているのに
自分が先に降りてしまうのは非礼と思うのか。
でも、ふたりで押そうが、ひとりだろうが機能は同じ。
僕は「そのとき、言葉があればいいのに」と思う。



僕は自分が降りるとき、
ボタンを押している人に「すみません」と言って降りる。
「すみません」という言葉はどうもぴったり来てはいない。
かと言って「ありがとう」と言うのも抵抗がある。
まるで重役が社員に言っているような不遜な感じがある。
「お先に、すみません」でもヘンだな。


この場にぴったりくる日本語の表現がないために
両側の人は沈黙のままそれぞれのボタンを押し続ける。
英語ではredundancy(労働力の過剰)と言い、
効率をなにより重んじるグローバル企業でもっとも嫌われる行為だ。



小さなことのようだが、
こうしたredundancyを放っておくのは危険な気がする。
日本も日本人も外国人から気づかいを誉められながら
効率競争で世界から脱落する気がしてならない。
気づかいを表すにはボタンを押す人はひとりでいい。
もうひとりは礼を言って降りる方が効率がいい。
誰が考えても結論はそうだろう。


そう思うが、ぴったりくる言葉がない。
言葉が見つからないと人の行動を変えられない。
コピーライターのみなさん、いい表現を考えてくれませんかね?