ますます風が吹いているだけ(きたやまおさむ)

クリッピングから
朝日新聞2022年1月22日朝刊別刷be
きたやまおさむ「これから何処(どこ)へ」
3⃣ 空しさを噛み締める


  はしだのりひこと私は、
  仲の良い時と、悪い時とがあった。
  「喧嘩(けんか)友達」と言っていいと思うし、
  二人の葛藤は主に創作活動で生じたものである。
  もともと京都のアマチュアバンドだったフォーク・クルセダーズは、
  社会的にメッセージ性の高いフォークソングを歌う学生バンドだった。
  (略)


  「帰って来たヨッパライ」(67年)は、
  アマチュア時代の解散記念レコード300枚に収録され、
  解散の1カ月後にラジオで流されたことをきっかけに、
  数カ月で全国的な大ヒットとなった。
  「面白そうだから」と私と加藤和彦がプロデビューを決心した時、
  オリジナルメンバーが揃(そろ)わないので、
  近所にいたはしだが、新メンバーとして巻き込まれてしまった。


  ライブ(生)のコンサートしか知らなかった三人は、
  心の準備のない状態で「空しさの嵐」の中に放り込まれた。
  一見、シンデレラの登城のような状態だが、
  テレビやラジオで「おらは死んじまっただ」という歌を
  何度も繰り返すのは、ロボットになったような体験だった。
  テープの早回転で甲高くなった音に合わせ、
  口パクで歌うのも実に空しくて、
  周囲の期待に応えることにも、
  生き甲斐(がい)を急激に見失いつつあった。
  (略)


  フォークル解散後、
  新グループで自らリーダーになったノリちゃんの作曲で、
  私が作詞した「風」(69年)では、
  人生とは「振りかえっても……、ただ風が吹いているだけ」
  と歌い上げた。
  そこでも、もう少し歌詞を前向きにするかしないかで
  大いにもめたものだ。


  まだ二十代だったトリオはすでに50年で二人が逝き、
  ますます風が吹いているだけになった。
  死や空しさという真実を歌い上げたことが、
  私たちの存在意義だった。
  これを噛(か)み締めることが、
  生き続けるためにも必要なことだと思う。

                 (精神科医、作詞家)


f:id:yukionakayama:20220202185212p:plain


(本書を補完する当事者コメントとして、きたやまの文章を読んだ。日本フォーク史を知る名著)