伊藤亜紗評:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/奈倉有里訳『亜鉛の少年たち』(岩波書店、2022)

クリッピングから
毎日新聞2022年7月16日朝刊
「今週の本棚」伊藤亜紗評(東京工業大学・美学)
亜鉛の少年たち』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、
奈倉有里訳(岩波書店・3520円)



  もう戦争の話は書きたくない……。
  ベラルーシ人の父とウクライナ人の母のもとに生まれた著者は、
  『戦争は女の顔をしていない』でソ連の対独戦争に従軍した女性たちを描いた。
  そして一九八〇年代、うなされるようにして今度は現在進行形の戦争を描く。
  七九年から八九年まで十年間も続いたアフガニスタン戦争である。
  (略)


  タイトルの「亜鉛」とは、
  戦死者を移送するための蓋(ふた)の開かない亜鉛の棺(ひつぎ)と、
  同じように閉ざされた人々の心を指す。


  著者の手法は、徹底した聞き書きである。
  狙撃兵、通信兵、中尉、少佐、軍医、看護師、母、妻など、
  戦地に赴いた人やその近親者たちにインタビューを行い、
  その語りを著者の言葉をほぼ挟まずに並べていく。


  戦争という歴史的出来事を個人のライフヒストリーとして記述することで、
  著者は、読者が戦争を内側から経験できるようにした。
  しかし、著者の問いかけに対し、ある中尉はこう答えている。
  「真実だって?
  真実をありのままに語れる人間なんて、
  絶望した奴(やつ)だけだ」
  (略)


  そもそもなぜ、アフガニスタン戦争の本が
  二十一世紀になって出版されたのか。
  本書は増補版であり、
  元の本はペレストロイカ言論の自由が進んだ九一年に出版されている。
  ところが九三年、独立後のベラルーシで、
  著者に対する裁判が起こる。
  原告は、本書に登場した語り手たちだ。


  本書の残り(引用者注:全体の四分の一にあたる)は、
  この裁判の記録にささげられている。
  「事実が捏造(ねつぞう)されている」
  「息子の名誉が毀損(きそん)された」…
  掌(てのひら)を返したように法廷で著書を糾弾する語り手たち。
  著者曰(いわ)く
  「意識のなかにある解読の鍵が変わってしま」った。
  (略)




岩波書店は同紙面出稿でタイムリーに広告)


(1995年に出版された91年版原著日本語訳。三浦みどり訳/日本経済新聞社刊)


(評者の共著近作)