11月のEテレ「100分de名著」、
『カラマーゾフの兄弟』(アンコール放送)指南役は亀山郁夫先生。
その風貌、語り口から
先生がドストエフスキー作品の登場人物のひとりであっても
少しも不思議でないと感じていた。
テキストにこんな一節を見つけた。
というのも、私は中学三年生の夏に
ドストエフスキーの『罪と罰』を読み、
主人公のラスコーリニコフに
一種の憑依(ひょうい)に近い体験をしていたことがあって、
ドストエフスキーは自分にしかわからない、
という妙な自信を抱いていたことが原因です。
ですから、同じ作家の小説をほかの人が読んで読書感想文を書き、
全国で認められることを、
何か許しがたいことのように思ったのでした。
(「はじめに」pp.5-6)
ああ、やっぱり。
僕の思った通りだ。
ほぼ生涯を掛けて研究・翻訳を精力的に続けるうちに、
先生は向こう側の人になってしまっていたのだ。
こちら側での講義に力を感じるのも当然だろう。