こころの癒しと時間(河合俊雄)

クリッピングから
岩波書店PR誌「図書」2021年4月号
巻頭言「読む人・書く人・作る人」
こころの癒しと時間 河合俊雄


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2020年8月のEテレ「100分de名著」
ミヒャエル・エンデ『モモ』の指南役を務めてくれた
河合俊雄さんのコラムが目に留まった。


  昨年テレビ番組で解説したエンデ作『モモ』は、
  文明批判だけでなく、時間や心理療法の本質について示唆的である。
  モモは心理療法家のように徹底して受け身に人の話を聴いて、
  人びとが自分で解決策を見つけるのを助けていた。


  しかし時間の貯蓄を薦めながら、
  実は時間を盗んでいた「灰色の男たち」と戦うために立ち上がり、
  時間の根源まで行き、一度時間を止めて灰色の男たちを消滅させ、
  再び時間を動かして時間と世界の再生を成し遂げる。


  こころの問題は積極的な対処よりも、
  いわば自然の治癒力を引き出すのが大切だが、
  どこかで治療者もクライエントも主体的で能動的になる必要がある。
  癒しは根源から生じ、世界の再生があるからこそ個人の変化もある。


モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))


ここまでは河合さんが番組で解説し、
テキストにも書いていた内容だ。
ここからこのコラムは新しい展開を見せてくれる。


  多くの児童文学では『モモ』での時間の根源の現れが、
  過去の出来事や人物との出会いとして描かれている。
  たとえば『トムは真夜中の庭で』では、
  真夜中に時計が十三時を告げてから
  トムが秘密の花園で会っていた少女が、
  実は階下に住む老婦人の少女時代であったことがわかる。


  また『思い出のマーニー』では、
  喘息の転地療法に海辺の村にやってきたアンナは、
  マーニーという不思議な少女に出会い、交流を深める。
  マーニーと別れた後で、彼女が自分の祖母にあたり、
  娘を交通事故で失って、孫娘を引き取るが、
  間もなく亡くなったことがわかる。


  どちらの物語でも、過去の人物との出会いが
  主人公のこころの成長や癒しにつながると同時に、
  能と同じようにそれが過去の人物の救済でもあるのが興味深く、
  癒しは相互的なのである。

              (かわい としお・臨床心理学者)

                           (p.1)




河合さんのコラムを読みながら、
「100分de名著」というテレビ番組は
出版界、読書界に広く、深く、静かに根を張っているんだなぁ、と思えた。
その目に見えないネットワークのようなものは、
日本語で暮らす社会において、
とても貴重な存在だと僕には思える。