『グロテスク』と『ディスタンクシオン』(加藤晴久)

クリッピングから
藤原書店PR誌「機」2021年2月号(No.347)
<寄稿>今、なぜブルデューか?
『グロテスク』と『ディスタンクシオン
東京大学名誉教授 加藤晴久



2020年12月に放送された「100分de名著」『ディスタンクシオン』
ブルディーの著作がある加藤晴久さんが異論を提出していた。
引用する。


  桐野夏生氏の『グロテスク』だが、週刊誌連載中に部分的に読み、
  何故か不思議な気懸かりに囚われ、2003年に単行本化されたとき通読した。
  そして腰を抜かした。
  ブルデューの『ディスタンクシオン
  すなわち「判断力の社会的批判」を小説化しているではないか!


  狂言回し役の「わたし」は、
  自分を含む登場人物たちが通う「Q女子高」(≒慶應女子高)について
  「日本にも実はしっかりと存在する階級社会を具現化」している、と書いている。
  (略)


  経済資本によって以上に、
  象徴資本の質と量によって構造化されたQ女子高というミクロコスモスで、
  外部から闖入した異分子が選びうる戦略は二つある。
  ひとつは、同化を断念し異分子としての存在に甘んずること。
  「最初から勝負を降りて変人になる」のである。
  「わたし」はこの道を選んだ。


  第二の戦略は、学業面で抜群の成績を収めること。
  しかも、ごく自然に。つまり、そのために努力している、
  「シコ勉」している気配は少しも見せずに。
  ミツルはこれを選んだ。


  第三、しかしこれは戦略ではない。
  「わたし」の妹のように、「怪物的な美貌」に恵まれること。
  ユリコは何の努力もせずにチアガール部のスターとして
  学内外でチヤホヤされた。
  (略)


  昨年12月に放送された「100分de名著」『ディスタンクシオン』は、
  『グロテスク』を素材に制作されるべきであった。
  そうすれば視聴者は『ディスタンクシオン
  つまり「判断力の社会的批判」を自分のこととして理解したであろう。
  (略)


グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 上 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

グロテスク 下 (文春文庫)

ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ)

ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ)


同誌小欄「書店様へ」(営業部)は、
同社刊『ブルデュー「ディスタンクシオン」講義』(2020)の反響に触れている。


  1/16(土)には、「月刊All Reviews」オンラインイベントにて、
  著者石井洋二郎さんが鹿島茂さんと対談。


テレビ番組が投じた一石の木霊(こだま)の重なり
僕も耳を傾けている。


(岸政彦さんの講義がなければ、ブルデューも、『ディスタンクシオン』も無縁だった)