100分de名著「中川裕/知里幸恵『アイヌ神謡集』」

クリッピングから
NHKテキスト100分de名著2022年9月
中川裕「知里幸恵アイヌ神謡集』」を読む。



「はじめに 魅力あふれるアイヌの物語世界」から引用する。


  『アイヌ神謡集』は、
  知里幸恵(ちり ゆきえ)というアイヌの女性が
  1923年に出版したアイヌの物語集です。
  これはアイヌの手によって書かれた
  初めてのアイヌ語の本であるばかりでなく、
  今日まで最も多くの人に読まれてきたアイヌ文学書でもあります。


  1903年生まれの知里幸恵は、
  この本が刊行される前年の1922年、わずか19歳で亡くなりました。
  2022年の今年は、彼女の没後百年に当たります。
  (略)


  よく「なぜアイヌ語の勉強を始めたのですか?」
  「アイヌ語のどこに興味を持ったのですか?」と質問されます。
  正直に答えるならば、「たまたま」という答えになります。
  (略)


  ただし、今では「これが一番真実に近い」
  と思っている理由があります。
  私はかつて、平村よねさんというおばあさんに
  アイヌ語を教わっていました。


  ある時よねさんは
  「自分には他人の憑(つ)き神が見える」と語り出し、
  「お前が私のところに来るのは、お前が来たくて来るんじゃない。
  お前の憑き神がアイヌ語を覚えたくて、お前をここに来させるんだ。
  だから、私はお前ではなくお前の憑き神にアイヌ語を教えているんだ」
  と言ったのです。
  (略)


  しかし、2014年に連載が始まった
  漫画『ゴールデンカムイ』(野田サトル作)が、
  そんな思い雰囲気を一掃してくれました。
  この作品は、日露戦争直後の北海道を舞台に、
  帰還兵・杉元佐一(さいち)とアイヌの少女アシパがバディを組み、
  埋蔵金を探して旅をする冒険活劇です。


  明治末期のアイヌ社会やアイヌの人々を、
  これほど真っ向から物語の中心に組み込んだ作品は、
  ほかにありませんでした。
  2022年4月に連載が完結したこの漫画は数々の賞を受賞し、
  目の肥(こ)えた漫画読者からも絶大な支持を集めました。


  やはり憑き神に導かれたためでしょうか、
  私はこの作品の監修者として
  作品の完結まで見届ける幸運に恵まれました。
  (略)


  アイヌの世界観では、
  人間と人間以外のものが対等に交流しながら、
  ひとつの社会を形づくっています。
  その世界観を、人間以外の視点から、
  メロディに乗せながら語っていくのが神謡です。
  

  知里幸恵が亡くなってから百年が経過し、
  アイヌをめぐる状況も大きく変わりましたが、
  『アイヌ神謡集』の価値はまったく薄れていません。
  それどころか、知里幸恵が『アイヌ神謡集』に託した想いは、
  現代にようやく花開こうとしています。
  (略)

                        (pp.4-7)