小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社、2019)

行動力があって、生命力があって、文章力がある。
こんな文化人類学者が京都・立命館大学をベースに
活躍していることを知ってうれしくなった。
小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている
アングラ経済の人類学』(春秋社、2019)を読む。



まず、タイトルがいい。
中味が分からないのに、なにか気になる。
著者は「おわりに」にこう書いている。


  春秋社の篠田里香さんに
  本書の執筆のために連載を持ちかけられた際、
  カラマ(引用者注:香港のタンザニア人コミュニティのリーダー)の
  キャラクターに惚れ込んでいた私は、
  彼を主人公とする「チョンキンマンションのボス」
  というタイトルの連載にしたいと伝えた。


  その後、篠田さんに「チョンキンマンションのボスは知っている」
  という意味深な言葉が追加されたタイトルを提案いただき、
  「カラマがいったい何を知っているのか」を考えることにした。


  そうして彼のことを思い浮かべると、
  あれもこれも出たとこ勝負だし驚くほど適当だし、
  怠け者だし、格好つけたがりだし、
  「あれ、彼って何を知っているんだっけ。
  じつは何にも考えていなかったらどうしよう。
  ヤバい、うっかり主人公にしてしまった」
  とちょっぴり後悔しながら、
  最後に何もひねり出せなくても、
  彼と彼の仲間たちが魅力的であることだけは伝えよう
  と思って書いてきた。

                (pp.269-270)


そのカラマが僕たち日本人について
サヤカ(引用者注:作者のこと)にこう語っている。


  「(日本で長く暮らしたことのある)イスマエルたち
  (パキスタン系中古車業者)もいつも言っている。
  日本人は真面目で朝から晩までよく働く。
  香港人も働き者だが、彼らは儲けが少ないことに怒り、
  日本人は真面目に働かないことに怒る。
  仕事の時間に少しでも遅れてきたり、怠けたり、
  ズルをしたりすると、日本人の信頼を失うってさ。


  アジア人の中で一番ほがらかだけれども、
  心のなかでは怒っていて、
  ある日突然、我慢の限界が来てパニックを起こす。
  彼らは、働いて真面目であることが
  金儲けよりも人生の楽しみよりも大事であるかのように語る。


  だから俺たちが、子どもが六人いて奥さんも六人いるとか、
  一日一時間しか働かないのだというと、
  そんなのおかしいと怒りだす。
  アフリカ人は貧しいのだから、
  一生懸命に働かないといけないと。


  アフリカ人がアジアで楽しんでいたり、大金を持っていたり、
  平穏に暮らしていると、胡散臭いことをしていると疑われる。
  だから俺はサヤカに俺たちがどうやって暮らしているのかを教えたんだ。
  俺たちは真面目に働くために香港に来たのではなく、
  新しい人生を探しに香港に来たんだって」

                        (pp.236-237)


「痛たたた……」
自分の胸に手を当てると大いに思い当たる節がある。
タンザニア人の香港コミュニティのような
超マイナーな世界を参与観察したって
学者以外に何の意味があるのか、
などと悪態をつけなくなってしまった。


この作品はブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、
常井健一『無敗の男ー中村喜四郎 全告白』などの話題作と競って、
第51回大宅壮一ノンフィクション賞(2020)を受賞した。
(選考委員:梯久美子、後藤正治佐藤優出口治明、森健)