それを受け入れて、結構いい人生だったんじゃないの(岸惠子)

クリッピングから
岩波書店PR誌「図書」2022年5月号
「高齢者の自覚」 岸惠子



  「人生百年」などととんでもない言葉がもてはやされている。
  特別に元気な人か、支えてくれる身寄りがない限り、
  今現在の人間にたった独りで快適な百歳をまっとうする力はない
  と私は思うし、若者の負担が大きくなる。
  犠牲者を出す高齢者の事故
  (引用者注:自動車の運転による人身事故のこと)は、
  残念ながら今でもよく起きている。


  世間を騒がせた池袋暴走事故の当時八十七歳の加害者は、
  嘗(かつ)て高い要職に就いて受勲したこともあるという。
  彼の悲劇は老いて劣化する自身の能力を自覚する能力が無く、
  それを指摘してくれる身の回りにも恵まれていなかった。
  不幸なことと私は思う。


  月日は容赦なく流れ、私は八十九歳になってしまった。
  山の上に住む私は、何処に行くにも坂だらけ。
  車を失った私はめったに散歩をしなくなり、筋肉が衰えた。
  「港の見える丘公園」を中心に一万歩を勢いよく歩いた
  七年前には遠く及ばず、今は家の周りを十五分歩いても息が切れる。


  切れた息を深々と吸い、暮れなずむ夕空を眺めながら、
  人生晩年の一日にまた陽が沈むと、やるせない自覚をした。
  「身体能力は磨り減るものなのよ。
  それを受け入れて、結構いい人生だったんじゃないの」
  沈みゆく太陽が私にやさしく笑いかける。
  「褒めてくれるんだ」
  めげない私も、思わず微笑みながら、
  入陽のぬくもりに身をゆだねた。

                  (きし けいこ・女優・作家)