クリッピングから
「世田谷文学館ニュース」No.79(2022.3)
館長の作家対談(ゲスト:菅野昭正/聞き手:亀山郁夫)
名誉館長(二代目)と現館長(三代目)の対談、
読み応えがあった(初代館長はアメリカ文学者・佐伯彰一)。
(同館では7月3日まで「ヨシタケシンスケ展かもしれない」開催中)
お二人の印象に残った発言を
それぞれ個別に記録しておく。
亀山 常々思っていることですが、
生誕200年を迎えたフローベールやドストエフスキーの作品が、
今後どのように生き延びていくかというとき、
私はアダプテーションを介しての可能性を否定しきれないのです。
実際、最新のドストエフスキー研究においても、
映像化の問題が世界の研究者たちの関心を集めています。(p.4)
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菅野 本で取り上げた映画のうち
(引用者注:菅野昭正『小説と映画の世紀』未來社、2021)、
20世紀前半の作品はヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』だけで、
ほかの映画は全て20世紀後半です。
映像化にあたっては、例えば、カフカの『審判』は
映画に現代的な高層ビルやコンピューターが出てくるように、
時代設定を撮影時に移した作品が殆どです。
映画が映画らしくなったのが20世紀後半で、
それで漸く小説と同じレベルで評価できるようになったのではないか
と思います。(p.5)
菅野 数年前に亡くなった加藤典洋君もよく論じていましたが、
戦後の民主主義の歪みがのちの世代の若者に影響を与えていると思います。
今、僕たちは現実本位、利害本位に生きていて、
理想主義を失っていると思います。
僕らの年代、老いさらばえた世代もそうですが、
我々が生きるための指針や理想が見えなくなっている。
また、現在の日本社会における文化の位置づけ、
先行きについても心配しています。
この2、30年で、文学の低落傾向は甚だしいものがあります。
頑張っている人たちもいるかもしれませんが、
そういう現代の作家たちは、
世間一般の人にとっては無名に近いのではないでしょうか。(pp.6-7)
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亀山 例えば今日名前のあがった作家たちの作品について、
そんなものは芥子粒の世界だと、
容赦なく切り捨てようとする向きがあるはずです。
しかし、そうした流れに抗して、この「芥子粒」を育て、
ある種の知的共同体のようなものへと
つくり変えていくことが大事だと思います。
相手が一人でも、二人でもいい、
自分の感動を言葉にして発信していくことですね。(p.7)
(2021年12月10日、世田谷文学館にて)