2021年6月の新潮講座(全3回)講義録。
佐藤優『生き抜くためのドストエフスキー入門
ー「五大長編」集中講義』(新潮文庫、2021)を読む。
「第三章 『悪霊』を読む」から引用する。
一九七二年にあさま山荘事件が起きて、
連合赤軍内での陰惨なリンチ殺人が明らかになった時、
熱心なドストエフスキー読者である
大江健三郎(おおえけんざぶろう)さんや
埴谷雄高(はにやゆたか)さんが
一〇〇年も前に内ゲバ殺人事件を扱っていた
『悪霊』の予見性について言及していましたが、
作家でもう一人、高橋和巳(かずみ)さんのことも忘れてはいけません。
高橋さんは事件前年の七一年に三九歳で亡(な)くなっていますが、
早過ぎた晩年の六六年から六八年まで雑誌連載した
『日本の悪霊』(河出文庫)という長編小説があります。
戦後の混乱期に革命資金調達のため山林地主を殺して、
八年間逃げ回っている男と、
追いかける特攻帰りの刑事という二人を軸に展開する物語です。
(略)
タイトル通り、戦後日本を舞台に
『悪霊』のテーマを発展させた文学的達成だと思います。
あさま山荘事件から連合赤軍のリンチ死事件への予見性という意味では、
ドストエフスキーの『悪霊』と共に、
事件直前に高橋和巳も『日本の悪霊』を書いていたことも覚えておいていい。
(pp.100-101)
オウム真理教の事件の時に『悪霊』を思い出した人もいました。
いつの時代でも、何らかのドグマを妄信する組織や集団を考える時には、
『悪霊』はかっこうのテキストになります。(p.111)
(略)
オウム真理教に関してはさまざまな観点から、
たくさんの本が書かれていますが、
私の読んだ中で一番レベルが高いと思ったのは
大田俊寬(としひろ)さんの『オウム真理教の精神史』でした。
大田さんは宗教学者ですが、
宗教学分野におけるオウム真理教研究は基準に達していないと、
手厳しく批判しています。
「これまでの学問的営為は、オウムという現象に対して
有効な分析を行うことができなかった。
それのみならず、私の専攻する宗教学という学問は、
破綻へと向かうオウムの運動を、多分に後押しさえしてしまったのである」
と書いている。
(pp.118-119)
ドストエフスキーのような比較的新しい古典を含めて、
古典を現代のわれわれが読む時には、自覚しているかどうかは別として、
じつは補助線を引いて読んでいるんです。
いまドストエフスキーを読む時に、
一般読者が引く補助線は高橋和巳や小林秀雄(ひでお)ではないでしょう。
亀山郁夫さんの提唱した<父親殺し>という補助線で
読んでいる人が多いんじゃないかな。
ただ、父親殺しというフロイト的な心理主義に還元した読み方だけだと、
ドストエフスキーの世界を狭めてしまいます。
(p.144)
佐藤優さんの講義の特徴は
読者が自分自身でテーマを深掘りできるよう
複数の著者のテキストを自在に行き来する点にある。
圧倒的な読書量、文脈に沿った的確な引用力にはいつも教えられる。
この一節から僕は高橋和巳、大田俊寬、亀山郁夫の著書を補助線として参照し、
ドストエフスキーのテキストについて、さらに考えてみたいと思った。
本書は令和三年(二〇二一年)六月二日、七日、三〇日に行われた
佐藤優氏の新潮講座「入門ドストエフスキー〜21世紀に長編小説を読む意味〜」
を活字化した文庫オリジナルである。
(生誕200年を記念して、読み応えのある著作が次々出版されている。
佐藤さんのこの作品も、その一冊)