ロシアという大地の重さやそこに潜む「狂気」(新実徳英)

クリッピングから
朝日新聞2024年2月17日朝刊
読書欄「ひもとく」冬に読みたくなる本
作曲家 新実徳英


  冷たいからっ風に吹きさらされるのは勘弁願いたいが、
  良く晴れた日の朝、
  キリッと冷えた空気の中に身を置くと、
  感性が引き締まり思考が深まる本が読みたくなる。
  おすすめしたい本は数々あるが、
  私の中で余韻が響き続ける三点を選んでみた。


  詩は直観で受けとめるもの、と思っているが、
  ひとたび「なぜ」という疑問が湧いた時、
  それを説明するのが難しい。
  謎が生まれる。
  佐々木幹郎中原中也 沈黙の音楽』は
  それを鮮明にかつ深々と解いてくれる。
  (略)


  謎解きのおかげで中也の心に
  一歩踏み込めたように思われてくる。
  ちなみに中也自身が出版に際して
  点線の点の数まで指示しているとのこと。
  当然のようだが、やはり驚く。


  中也の交遊も丹念に書かれていて、
  この本は半ば伝記でもあり、
  中也ファンには嬉(うれ)しい一冊だ。
  (略)


  さて、最も分かりにくい謎が人間という生きものではないか。
  複雑極まりない人間関係の動力学が緻密(ちみつ)に描かれる
  ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(全5巻)。
  フョードル親父(おやじ)、
  ドミートリー、イワン、アレクセイの三兄弟……。
  「癖」の強い登場人物たちが、
  一筋縄ではないドラマを繰り広げる。
  人間模様の網目が更に絡まっていく。


  「魂の行方」、そのことを思い続ける。
  父親殺しは誰か、という推理小説めいた趣向も
  構成の奥行きを作っていて面白い。
  これは主題が十もある大交響曲
  見事に五楽章にまとめた、そんな本である。


  ありがたいことに各巻の巻末に
  訳者の亀山郁夫による懇切な「読書ガイド」が記されている。
  読者は各巻ごとにそれを頼りに頭を整理できるのである。
  第5巻の短いエピローグのあとには
  「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題」などが記され、
  それらを読みながら全編を読み終えた「達成感」を
  しみじみと味わうことができる。


  私が読後に思いを馳(は)せたのは
  ロシアという大地の重さやそこに潜む「狂気」だ。
  それはプロコフィエフショスタコーヴィチの音楽のそれと
  確かに根っこがつながっていると感じられるのだった。


    ◇にいみ・とくひで 47年生まれ。
     オペラ「白鳥(しろとり)」、管弦楽曲「風神・雷神」など。
     詩人・谷川雁との共作「白いうた 青いうた」や、
     東日本大震災で被災した詩人・和合亮一による「詩の礫(つぶて)」を歌にした
     「つぶてソング」が広く歌われている。