いつもそこにいて、いつもそこにいない人

昨夜、東大構内のレストランに
7月1日に亡くなった広告ジャーナリスト菊地由美さんを偲ぶため、
100人を越える広告関係者が集まった。


菊地さんはいつもそこにいて、いつもそこにいない人だった。
自分や読者が関心を持つ広告関係者が集う現場には
いつも菊地さんの姿があった。
同時に、小柄な菊地さんはまるで自分の存在を消すかのように
そこにいなかった。



いつも自分の足で現場を歩き、自分の頭で考えたことを
週2回発行の「CMジャーナル」に書き続けた。
菊地さんの正義は、菊地さんを生きづらくしていたに違いない。
菊地さんの仕事に向かう姿を窮屈だなと思ったこともたびたびある。



「CMジャーナル」ではインタビュー記事が秀逸だった。
インタビュイーを選び、言葉を引き出し、活字にする。
その集積に、菊地さんと「CMジャーナル」の最大の功績があったのだと
僕は勝手に思っている。
惜しい人を亡くした、と月並みな言葉で菊地さんを送りたくはない。
頑固で、正義心が過剰で、やたらと大組織に刃向かいたがる菊地さんに
そんな弔辞は到底似合いそうにない。