K.v.ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?』(2011)


カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?
〜画策者なき陰謀』(2011/井上実訳)を読む。
「歴史の岐路に立つ日本」と題されたプロローグ冒頭にこうある。


   大地震や大災害に見舞われると、
   人間というものははたと現実に気づくのか、
   あらためてよく注意して周囲を見回すようになるものだ。
   選挙や革命といった政治事件もまた、
   こうした大きな自然災害と同じく
   人々を目覚めさせる「ビッグ・ニュース」となる。


                 (同書p.1より引用)


誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀


この本が発行されたのは2011年3月1日である。
まるで3.11を暗示していたかのような文章で本書は始まる。
キーワードは原題にある Character Assassination。
井上は「人物破壊」と訳す。



政治家・小沢一郎をめぐるメディアの報道が
どうしてこういつもヒステリックなのか、僕は疑問に思ってきた。
政治的主張の是非をほとんど問うことなく、
人格を攻撃しつづける様は異常と写る。
そこで問われる「倫理」は常にあいまいである。
なるほど、ウォルフレンが言うCharacter Assassinationが
そこで行われていると考えれば明快である。
より直訳に近い「人格破壊」「人格暗殺」と考えれば、
小沢の政治的生命を奪い暗殺する行為であることが理解しやすい。



「画策者なき陰謀」を働いているのは、
検察、メディア、官僚、アメリカ政府などの複合体であるというのが
ウォルフレンの結論である。
3.11以降の現実の中で僕たちはもう一度注意して周囲を見回し、
自分の生き方、暮らし方を問うている。
僕もCharacter Assassinationのキーワードを使って
もう一度現実を見直してみることにしよう。
誰が誰によって殺されようとしているのか。
その「人格暗殺」で誰が利益を手にしようとしているか。


                     (文中敬称略)