山田風太郎『戦中派不戦日記』(2010/1971初出)


山田風太郎『戦中派不戦日記』(2010/1971初出)を読む。
23歳の医学生・山田誠也(後の山田風太郎)が
昭和20年の一年間つけた日記のノーカット版である。
敗戦の年に一個人がつけていた暮らしと思索の記録は
意外なほど残っておらず、そこが一番面白かった。
いまならさしづめブログだろう。



東京大空襲があった3月10日。
敗戦が決まった8月15日。
デイアフターである翌8月16日。
山田青年がなにを記録していたか、僕には興味があった。
昭和20年と言えどときには酒を飲んだり芝居を観る日もあった。
空腹や空襲はもはや日常そのものだったから
ことさら日記に書き連ねなかったこともあると風太郎は回想する。



巻末解説の橋本治はこの日記の白眉を見逃さず引用している。


   焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、
   ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。
   風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。
   そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、
  「ねぇ……また、きっといいこともあるよ。……」
   と、呟いたのが聞えた。


              (本書pp.593-594より引用)



巻頭に掲載された写真「焦土を整地する学徒」
「荒涼とした銀座を歩く人びと」は
3.11東日本大震災後の日本の姿の一面に酷似していた。



(文中敬称略)