吉本隆明「遠山啓—西日のあたる教場の記憶」(1979)


巻末に添えられた文章が読みたくて
H図書文化館から借りてきた。
遠山啓『文化としての数学』巻末、
吉本隆明「遠山啓—西日のあたる教場の記憶」を読む。


文化としての数学 (光文社文庫)

文化としての数学 (光文社文庫)


昭和20年「敗戦の余燼がまだ醒めない時期」、
西日のあたる階段教室で
黒か紺に染めた詰め襟の国民服を着た遠山が
量子論の数学的基礎」を講義していた。
学問に飢えた学生たちに請われて開講した
単位などない自主講座だ。


代数的構造 (ちくま学芸文庫)

代数的構造 (ちくま学芸文庫)


毎回200名ほどの学生が聴きにきて、
遠山は3時間か、4時間、ぶっ続けで講義した。


  「長い教師生活のなかで、
   そのときほど熱をこめて講義したことは
   なかったような気がする」
      (遠山「卒業証書のない大学」)。


その教室に「怠惰で虚無的な学生」の吉本がいて
むさぼるように講義を聴き続けた。


吉本は遠山に


  「人間の本性にある怠惰とデカダンスをよく知っていて、
  それを禁欲的な強い意志で制御した上に数学を築いている
  精神の匂い」


を嗅ぎわけた。
なんだか想像するだけでいい風景だ。
この文章を読むまで遠山啓と吉本隆明
直接の接点、出会いがあるとは知らなかった。
1945年と言えば、前年遠山は東工大助教授に就任。
吉本は同電気化学科の学生だった。


吉本はさらに打ち明ける。


  「あらゆる職から断たれて途方にくれていたとき、
  アルバイトの就職口を探してくれた。
  わたしはお陰で長いあいだ
  生活の破産を免れることができた」。
  (同書p.244より引用)


遠山啓著作集 別巻 1 日記抄+総索引

遠山啓著作集 別巻 1 日記抄+総索引


『遠山啓著作集』を読んで遠山が東大を中退し、
浪人生活をしながら哲学、文学を学んだ時期があるのを知った。
22歳から26歳までの4年間だ。
その後、遠山は東北大理学部数学科に再入学し
数学者、数学教育者の道を歩む。


追悼私記

追悼私記


この文章は遠山の死を悼む追悼文として
1979年、雑誌「海」に発表された。
ふたりの出会いを知って、
吉本の著作も本格的に読んでみたいと思った。


  『追悼私記』(ちくま文庫、2008)より転載。
  初出:「海」(1979/原題・遠山啓さんのこと)


wikipedia: 遠山啓
wikipedia: 吉本隆明
(文中敬称略)