広告祭の隙間時間に『資本論』を読む


もう40年も前のことだけれど、就職する際に、
「これからは資本主義の片棒を担いで、
お金を稼ぐことになるんだろうな」と不安だった。



右も左も分からず会社に入ってみると、
親切な先輩、怖い先輩、
ちょっと意地悪な先輩たちが、
仕事や会社員の心得を教えてくれた。
お得意さんの中に自分を買ってくれる人もいて
仕事のチャンスをくださった。
資本主義の片棒を担ぐなんて頭で考えていたところが
親のスネをかじる学生の発想だったんだな、と思えた。



グルリと時代が回って、
グローバル資本主義が世界に行き渡り、
各国で、日本で、みるみる貧富の差が広がることを実感した。
自己肥大することを唯一の目的に
猛威を振るう資本の正体を知った。



昭和2年発行の本なので、ヒモで結ばないとバラバラになる)


資本主義の潤滑油とも活性剤ともなる広告の、
季節ごとの祝福でもあるフェスティバルの隙間時間に
マルクス資本論』(高畠素之訳)を読むのはなんとも味わい深い。
小さく、ひ弱な個人の視点と、巨視的な洞察は、
生き抜く上でどちらも欠かせない必然なんだ。


マルクス自身は貧乏だった時代が長いが、
盟友の資産家エンゲルスに金を無心し続けた。
道徳的にストイックでなく、
案外いい加減で、たくましい奴であったのが面白い。
いちいち深刻になって「賃銀労働者」に同情するだけだったとしたら
とてもじゃないが『資本論』は書けなかったろう。
人格と、知的生産の結果は別物だ。



マルクスは第一巻のみ執筆。第二巻・第三巻は
マルクスの意向、残された原稿を元にエンゲルスが執筆した)


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