伝統的文化と接続していない不安


きょうのスクラップブックから。
朝日新聞2017年6月14日朝刊。
後藤正文(ミュージシャン)の朝からロック」(毎週水曜掲載)



   最近、とある作品の制作に使うために、
   友人から三味線を譲ってもらった。
   (中略)


   譲ってもらった三味線をケースから取り出したところ、
   なんと皮を張った胴の部分と
   ギターのネックにあたる棹(さお)の部分が
   バラバラの状態で収納されていた。
   つまり、組み立てから自分で行わないといけない
   ということだった。
   (中略)



   ところが、今度は3本の弦の正しい音程が分からない。
   参考書の通りに弦のテンションを高めていくと、
   今度は皮が破れてしまわないか不安になって、
   どうにもチューニングがうまくいかない。
   (中略)


   ここ数年、「日本すごいね」や「日本人でよかった」などという
   キャッチコピーを目にする機会が増えた。
   僕が邦楽の楽器ひとつとっても、この有り様だ。
   日本のすごさを発見するどころか、
   この国の伝統的な文化と接続していないのではないか
   という不安のほうが強い。
   古典文学だって、原文をまともに読めない。



最後の一行に僕は共感する。
マルクス資本論』で昭和3年の高畠素之訳に取り組んでいると
当時の文体に徐々に慣れてきた。
近代文語文も読めるようになりたいと思って
佐藤優さん推薦の参考書も購入済みだ。


近代文語文問題演習 (駿台受験シリーズ)

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wikipedia:後藤正文