藤原てい『流れる星は生きている』(1949/ちくま少年文庫1977)


主人公・藤原ていと同じ立場に立たされたなら、
僕に同じことができるだろうか?
とてもできないだろうと心重たく想像しながら
藤原てい流れる星は生きている』を読む。



巻末に添えられた澤地久枝の解説から引用していこう。


   『流れる星は生きている』という物語は、
   この満州の新京を起点に、
   昭和二十年八月九日夜にはじまり、
   翌年九月なかばにおわる、一つの旅路の記録です。
   (中略)



   藤原さんは、このつらい旅路の歴史的背景には
   まったくふれていません。
   母とこども三人、このささやかな人間のかたまりが、
   どのように飢え、あるいは病み、
   日本人仲間からむごたらしいあつかいを受けたかを、
   ひたすら書いています。
   (中略)


   極限に身をおき、
   そこで人間の本性(ほんしょう)が
   ばくろされるのを見とどけつつ、
   藤原さんは男のことばづかいになり、
   子どもたちをどなりつけて、
   鬼のような母親になりながら、
   つらい旅を生きのびてゆきました。
   (中略)


   こうしてついに命ながらえ、
   まるで幽鬼のような姿になって帰りついた祖国なのでした。
   これを、日本の母の強さの記録と読むこともできるでしょう。
   しかし私自身は、
   ここまで母と子を追いやった責任は、
   いったいどこにあるのかを考えたい気がします。
   生きては帰れなかった
   たくさんの命にかわって—。



(1949年に出版された日比谷出版社版)


1977年にこの本が「ちくま少年文庫」の一冊に入り、
小中学生も読んでいたのだと想像すると感慨深い。
頭と口だけで戦争反対を唱えるより、
この一冊を輪読する授業があっていいと思えた。



本書添付図表によれば、
戦後、海外からの引き揚げ者数は、
藤原一家のように満州から引き揚げた1,271,482人を含め、
合計6,388,665人。


難民同然となって祖国をめざした日本人が
戦後、600万人存在した。
そのひとり一人に、
記録に残らない物語があったことを想像すると
気が遠くなる思いがする。



本書は讀賣新聞2017年8月14日特集記事で知り、
港区立赤坂図書館で借りてきた。
登録している都内5区の図書館サイトを検索すると、
いまでもたくさんの人に読まれていることが分かる。



(本書解説を執筆した澤地も15歳のとき、旧満州吉林市から引き揚げてきた)


(文中一部敬称略)