大竹まこと『俺たちはどう生きるか』(集英社新書、2019)

古希を迎えた著者のぼやき、呟き、時々励ましのような一冊。
読むラジオ、といった感じなのかな。
大竹まこと『俺たちはどう生きるか』(集英社新書、2019)を読む。


f:id:yukionakayama:20190826205440p:plain:w300
(イラストレーション:タブレット純)


大竹は若者たちに対して
先輩だからと言ってかっこつけない。
上から目線で判断したりしない。


  私が担当しているラジオ番組の月曜から金曜のレギュラー陣の中に、
  はるな愛タブレット純がいる。
  二人とも、「変わった形の石(LGBT)」である。
  一体どんな青春時代を送っていたのだろう。
  二人の了解を得て、生放送で聞いた。


  はるな愛は、高校時代、まだ普通の男子を装っていた。
  それでもまわりの生徒は、敏感に感じとったのだろう。
  長くイジメにあっていたと話す。


  大阪の片側四車線の広い幹線道路にかかる歩道橋に立ち、
  いつ死のうか迷っていた。
  次のあの白いトラックが来たら、飛びこもうとも思ったらしい。
  父親も当時は飲んだくれ、家は荒れていたと目を赤くして話した。
  それでも、父親を含めた家族のことを考えて、思い留まったという。


次の一節がなかなかいい。


  そのうえ、まだはるな愛は男子であった。
  どうせ死ぬなら、一度、とても可愛い女の子になってからでも
  遅くないと考えたらしい。
  それまでは死ねないと話した。


  タブレット純は、いつも自分は生きていても仕方がない人間だと
  思っていたらしい。
  はるな愛と同じく、みんなにイジメられていた。
  小学生の頃から、自分が人と違うことに気づいていたが、
  やはり誰にも話せなかったという。


  そして、芸能界に入り、ムード歌謡のプリンスとして売れ出すのだが、
  ステージでシラフで立てず、いつも酒をずいぶん飲んでから、
  人前に立って歌っていたと答えた。
  歌は続けていたが、ある時、その流れでお笑いのステージに立った。
  みんなに笑ってもらった時、
  初めて、生きていていいのかもしれないと感じたという。


  中学生の時、純は、テレビ番組で暴れていた私をみて、
  こんな人でも生きていると思ったらしい。
  名誉なのか、不名誉なのか。


  誰もが危険な溝をギリギリ渡り、今日を生きている。
  二人は、あの時に死ななくて良かったとも語った。
  生きていなければ、何も語れないし、今の活躍はない。
  やっぱり死んじゃいけないんだ。
                       (pp.129-130)


僕が中高生の頃、布団にもぐり込んでラジオの深夜番組を聞いていた。
DJとの距離の近さ、リスナーからのハガキ、電話の声に
慰められるような気持ちになったこともある。
はるな愛タブレット純が大竹の番組に出演することで
救われるような気持ちになるリスナーもいるのではないか。
そうだといいな。


f:id:yukionakayama:20190826204619j:plain:w400
                  (pp.194-195 )


本書には大竹の直筆原稿が掲載されている。
達筆とは言えないが、味がある。
校正スタッフは読解にさぞ苦労したことだろうね。


  初出: 『青春と読書』(集英社)連載『平成消しずみクラブ』
      (2017年7月号〜2018年6月号)
       新書化にあたり、加筆・修正。