イアン・カーショー『分断と統合への試練 ヨーロッパ史 1950-2017』(白水社、2019)

ヘーゲル『歴史哲学』、エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史:両極端の時代』
を読んだときのような充実感が残った。
イアン・カーショー『分断と統合への試練 ヨーロッパ史 1950-2017』
白水社、2019)を読む。



「はしがき」から引用する。


  "To Hell and Back: Europe, 1914-1949"
  (邦訳『地獄の淵から ヨーロッパ史 1914-1949、白水社』は
  かつて取り組んだもっともと難しい書籍であった、
  とわたしは同書の「はしがき」で書いた。
  それは本書以前のことである。


  1914年から現在にいたるヨーロッパ史のうちのこの下巻は、
  解釈と構成のうえで一段と大きな諸問題を引き起こした。
  世界大戦の明白な重要性が1914年から49年を扱う前巻を貫いているのに対し、
  1950年から現在までのヨーロッパ史には
  そのような単一の決定的テーマがないことに、少なからずその理由がある。


  『地獄の淵から』は戦争への突入と終戦
  そして再び戦争への突入と終戦という直線的進行に従っている。
  1950年以降のヨーロッパ史の複雑さは、
  単純に直線的な展開によっては十分に記述できない。
  さらに言えば、これは曲折と浮き沈み、きまぐれな変化、
  そして巨大で速度を加える変容の物語なのである。


  1950年以降のヨーロッパはこれまで、
  スリルと恐怖に満ちた一種のローラーコースターだった。
  本書は、ヨーロッパがこの数十年、
  なぜ、どのように大きな不安定期を繰り返してきたのかを示すことを
  狙いとしている。
      (p.9/年号表記は引用者が漢字表記をアラビア数字に変えた)
  (略)


  自分自身の時代の歴史を書くというのは、とても骨の折れることだった。
  しかし、やりがいのある仕事であった。
  わたしは自分の人生を形づくってきた出来事と変化について、
  以前知っていたことよりはるかに多くを学んだ。
  結果として、自分の住む大陸がどのようにして現在に至ったかについて、
  以前よりよく分かっていると感じている。
  わたしにとって、そのこと自体がこの企てを価値あるものにしている。


  未来のことはどうか。
  それについては、一歴史家の予測は
  ほかのだれのものとも大差ないのである。
  (pp.12-13)


ヨーロッパに住む多くの人びとにとって、
「ヨーロッパ」≒EUは、帰属意識を持てない、
分かりにくく疎遠な組織であるとの著者の指摘は、簡潔明瞭だった。
「後記 新たな不安時代」から引用する。


  EUがこれまで達成できなかったのは、真正のヨーロッパ帰属意識の創出だ。
  それぞれが個々の帰属意識と文化、歴史を有し、
  60以上の言語を持つ40ヵ国ほどから成る大陸としては、
  このこと自体は全然驚くに当たらない。


  おそらく、一部のEU理想主義者によっては失望だったろう。
  だが、国民国家の死亡広告を書くのは、実のところ時期尚早だったのだ。
  政治的理想主義よりも経済的現実主義にもとづいて建設されたヨーロッパ共同体は
  (この二つはしばらくきっちり並走していたのだが)、
  アラン・ミルウォードがいみじくも論じたように、
  「国民国家の(死滅ではなく)救出」を結集したのである。
  (略)


  戦後の最初数十年は、再度の戦争のわずかな可能性をも防止する必要が、
  新生のヨーロッパ共同体の念願の中心にあったのだが、
  そのメッセージは時の経過とともに必然的に色あせてきた。


  この結果、EUの「ヨーロッパ」は、多くの市民の目から見て、
  ほとんどの人びとの生活に影響するのに、
  彼らには積極的な政治的関与ができない規則や規制を体現する、
  分かりにくくて疎遠な組織にすぎないものになってしまった。
  ここにおいて、EUには構築できない愛着心を呼び起こす力のある、
  ナショナリストや分離主義の政治運動への扉が開けるのだ。
      (pp.516-517/一部数字表記を引用者がアラビア数字に変えた)


三浦元博は「訳者あとがき」でこう書いている。


  本書の原題「ローラーコースター」[ジェットコースター]は、
  著者も言っているとおり、遊園地のイメージがぬぐえない。
  邦題を「分断と統合への試練」としたのはそのような意味合いからである。
  (原書はその後 "The Global Age" [グローバル時代]と改題した版が出ている)。
  (pp.537-538)


僕には異論がある。
本書原題 "Roller-Coaster Europe, 1950-2017" の方が断然いい。
ヨーロッパが過去70年に経験してきたアップ&ダウンを、
Roller-Coaster と一語で言い切ってしまうことに力を感じる。
邦題「分断と統合への試練」、原書改題 "The Global Age" では
その凄味が伝わってこない。


Roller-Coaster: Europe, 1950-2017

Roller-Coaster: Europe, 1950-2017

  • 作者:Ian Kershaw
  • 出版社/メーカー: Penguin
  • 発売日: 2019/09/05
  • メディア: ペーパーバック


共同通信社からアカデミアに越境した経歴を持つ三浦の翻訳、
本書を含む全4巻を「シリーズ 近現代ヨーロッパ200年史」として完結出版した
白水社の仕事に惜しみなく拍手を送る。
現在の日本読書界の水準を示す一巻である。


ヘーゲル全集〈第10〉改訳歴史哲学 (1954年)

ヘーゲル全集〈第10〉改訳歴史哲学 (1954年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1954
  • メディア:
20世紀の歴史 上 (ちくま学芸文庫)

20世紀の歴史 上 (ちくま学芸文庫)