石井洋二郎『差異と欲望ーブルデュー「ディスタンクシオン」を読む』(藤原書店、1993)

12月の「100分de名著」で取り上げた
ブルデューディスタンクシオン』(講師:岸政彦)が
趣味と階級をつなぐ謎を解き明かしくれ、面白かった。



原著を翻訳した石井洋二郎の著作を連読。
石井洋二郎『差異と欲望——ブルデューディスタンクシオン」を読む』
藤原書店、1993)を読む。



「序 差異と欲望」から引用する。


  『ディスタンクシオン』は、
  確かに理解への努力を少なからず要求する著作ではあるかもしれないが、
  その難解さはけっして拒絶的なものではない。
  他の多くの書物と同様、これは不特定多数の読者へと向けて
  開かれた書物である。


  なるほど著者自身は、いっさいの「ウルガタ」(ラテン語訳の聖書)的解説、
  すなわち一般読者向けにパラフレーズした通俗的言説を
  拒否するような発言をしてはいるが、
  それは平易な言葉に翻訳してしまうことによって
  自分の文章の趣旨が誤解されてしまうことを恐れているからであり、
  その意味では理解されることへの渇望の裏返しにほかならない。


  曲がりくねったり枝分かれしたりしながら十数行も続く独特の文体も、
  言おうとすることをできるだけ忠実に再現しようとする著者の、
  厳密さにたいする並外れたこだわりから生じるものであって、
  意味伝達を拒否するどころか、
  むしろ過剰なまでに正確な意味伝達をおこなおうとする誠実さの結果である。


  著者はあえて読者への安易な迎合を拒否することによって、
  いささか強引にではあるが、逆に理解可能性へと読者をいざなおうとする。
  だからこれは、彼にしてみれば読まれない危険を承知のうえでの
  意図的な戦略であり、一種の賭けなのだ。
  私たちにはその挑発に乗る権利があるし、義務もある。


  本書は以上のような観点から、訳者としての責任を果たす意味も含めて、
  「難解」と言われるブルデューの主著を
  少しでも「理解」への領域へと近づけるよう試みること、
  そしてそのプロセスを通じて、
  差異と欲望の交錯点である「ディスタンクシオン」という概念にまつわる
  種々の問題を検証することを目的として、書かれたものである。

                           (pp.16-17)


石井の読解は明晰で原著を理解する手がかりになった。
「第五章 日本社会とディスタンクシオン」は、
「階級」にピンときづらい僕たちにとって、読解のための補助線となる。


ブルデュー『ディスタンクシオン』講義

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