岡田芳郎に棲みついた佐藤久一


岡田芳郎
「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を
 山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」。
長い書名はレジュメの如く、本の内容を過不足なく表現している。


映画館「グリーンハウス」とレストラン欅、ル・ポットフーを
酒田に創り上げた男、佐藤久一のノンフィクションである。
上質の映画を観ている気にもなるし、
ミステリー小説を読んでいるような気にもなる。



岡田は長年務めた広告代理店を定年退職し、


 「何をするでもなく暗い家の底でうずくまるような生活を
  送っていた」(p.264)。


そんな岡田に彼の姉が紹介したのが佐藤久一の妹だった。
忘れ去られた男の物語を岡田が再発掘する旅が、1999年に始まった。
その後、岡田は狭心症、大腸がんで闘病生活を余儀なくされる。
2007年春、病を乗り越え取材を再開し、
2008年1月に上梓したのが本書である。



1976年の酒田の大火が
佐藤がかつて支配人を務めた映画館「グリーンハウス」の
室内配線の漏電が原因であることが分かる。
この大火が、佐藤の輝ける人生に影を落とす。


その後、レストラン支配人として
佐藤久一の創造性はピークを迎える。
開高健山口瞳丸谷才一などのうるさがたからも
酒田に暮らす人たちからも絶賛される空間、料理を創り出す。
しかし、経済感覚の無さから坂道を転げ落ち、やがて破綻してゆく。
だからと言って、佐藤の成し遂げた仕事に価値がなくなったのか。
なぜこれほどの仕事をした男が忘れ去られてしまうのか。


佐藤はなぜつまづいたのか。
どうすれば転げ落ちずにすんだのか。
それともその人生は必然だったのか。
そもそも佐藤の人生は成功だったのか、失敗だったのか。
本人は幸福だったのか、不幸だったのか。
二者択一の試験問題じゃあるまいし、
簡単に答えを出せるわけもない。



岡田はあくまで感情におぼれることなく、
丹念に取材し、事実に基づき筆を進める。
そして、エピローグ「見果てぬ夢」はこんな一節で終わる。


  私は墓前にぬかずき、佐藤久一に挨拶した。
 「久ちゃん、どうやら私の中にあなたが棲みつき始めた」(p.277)


秋の夜長に読書の愉しみを深く味わえる一冊。


(文中敬称略)