危機意識と平常心


無論必要もあるのだが、
家にいても会社にいても一日中震災と原子力発電所のニュースばかり
見たり聴いたりしていると頭がヘンになりそうだ。
目を背いてはならない現実であることは確かだが、
それだけが現実でもなく、日々の暮らしではない。
危機意識とともに平常心をこんなときこそ持ち続けたいと願う。
地震からようやく一週間が過ぎ、三連休に入る。
普段の連休とはずいぶん心持ちが違う。



路地の突き当たりの角打ち「鈴傳」はどうしているか。
停電や帰りの電車も心配はあったが、四ッ谷で降りてみる。
路地の向こうに灯りがともっている。
やっているんだ。
扉を開ける。結構、客が入っている。
いつものおばちゃん二人はお休みで、
したがっておつまみはほとんどない。


体調のせいで普段はあまり角打ちに顔を出さないおかみさんや
娘さん、お孫さんまで家族総出で店を切り盛りしている。
おかみさんに「地震の被害はなかったの?」と尋ねる。
鈴傳」自慢の地下貯蔵室の酒150本がダメになってしまったと
哀しそうな顔で答える。一階の酒は幸い無事だった。



こんなときこそ東北の酒を飲もう。
宮城の「乾坤一(けんこんいち)」、山形の「山形正宗」「出羽桜」。
それぞれ個性のある純米酒で、山形の二銘柄はともに吟醸
どれも一合600円。
角打ち「鈴傳」では最上等の部類である。
僕は普段は一合380円の「満寿泉(ますいずみ)」や
400円の「腰古井(こしごい)」を飲む。今夜は特別だ。
僕以外の客もこの三銘柄を注文する人が多かった。


常連は今週も三度は通っている。強者たちだね。
おかみさんから「先生」と呼ばれる白髪の外国人は
手取川」を頼む。雰囲気がある。上智あたりの先生だろうか。
この日は珍しく常連客から声をかけられる。
みんなどこか心細く、連帯感のようなものが生まれているのか。
夜9時には店じまいだから、少し前に引き上げる。



山田風太郎『戦中派不戦日記』をポツリポツリ読んでいる。
昭和20年の一年間、書かれた日記だ。
東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、敗戦。
あの年にも人々の暮らしはあり、平常心もあったことを
当時医学生だった山田の日記から読み取ることができる。
石田衣良の腰巻の言葉が重たい。


    風太郎青年の目からみる戦時は、
    そのまま現代ニッポンの姿だ。



(文中敬称略)