なくした携帯の顛末


さて、瀋陽の旅初日に携帯をなくした僕は
同僚たちと別れて部屋に戻ってからどうしたか。


まずは自分の一日の行動をノートに書き出した。
一番あやしいマッサージの施術室は
同僚Eさんが店に連絡して見つからなかったから×に近い△。
もし、他を当たってダメだったら名刺の住所を頼りに
自分で行ってみる。




仕事で使っているバンなら運転手なり現地スタッフが
気づけば教えてくれるだろう。
マッサージ店から宿泊しているホテルTまで乗ったタクシーは
領収書をもらわなかったので会社名、連絡先が分からない。
東京のように遺失物センターがあるかどうかも分からない。


二番目にあやしいのは宴会のあったホテルNの待ち合わせ室ソファ。
あそこで携帯を出したようなおぼろげな記憶がある。
そこを出るとき急いでいたから
ソファの隙間か下に落としたかもしれない。



   (Traders Hotelのコンセルジュ、Bessieさん)


中国ではなかなか英語が通じない。
したがってひとりで行動するのは案外不便である。
この件で現地スタッフを使う訳にはいかない。
彼らには本来の仕事が山ほどある。携帯紛失は自己責任である。


ホテルTのコンセルジュ、
英語のできるBessieさんが僕の力になってくれた。
事情を説明するとホテルNに中国語で連絡してくれ
向こうのスタッフに頼んで待ち合わせ室も探してもらえた。
……が、ない。もう、ダメか。



Bessieさんと再度作戦会議を開く。
ホテルNで英語のできる顧客マネジャーDollyさんに
話をつないでくれた。
僕はタクシーを飛ばし、Dollyさんに会いに行き、
再度ホテルNの待ち合わせ室を自分の目と手で探した。
……が、やはりない。もう、ダメか。


最後の手段で、予備に持っていったiPhone
なくした携帯にかけてみる。
昨夜は留守番電話に変わっていた。
……


あれ、男が中国語でなにか話している!
急いでDollyさんに代わって、男と話してもらった。



男は梁さんと言って、昨夜のタクシードライバー
夜勤明けだったため、僕の携帯を自宅に持っていった。
幸いバッテリーがまだ残っていたため通じたのだ。
バイブレーション・モードにしていたにも関わらず、
よくぞ着信に気づいてくれたものだ。



   (タクシードライバーの梁さん(左)
    とNortheast Hotelの顧客マネジャー、Dollyさん)


それから一時間後、梁さんはホテルNに僕の携帯を届けに来てくれた。
昨夜紛失に気づいてから17時間半後に携帯は戻ってきた。
「お金の問題じゃない」と梁さんは言ってくれた。
それでは僕の気持ちがすまないので、
自宅からホテルNまでの料金に上乗せして
御礼として受け取ってもらった。


Bessieさん、Dollyさんはホテルで働くプロフェッショナルなので
お金で御礼するのは非礼と思った。
それぞれの上司であるManaging Directorにメール、ファクスを送り、
いかに彼女たちが素晴らしい仕事をしてくれたか感謝の気持ちを伝えた。



もともとは僕の失敗から始まったことだ。
Bessieさんからも、Dollyさんからも
「あなたは運がいい」と再三言われた。
けれども運がいいだけでは、僕の携帯が戻ってくることはなかった。
異国の街で僕のピンチを救ってくれたのは
Bessieさん、Dollyさん、梁さんのリレーである。
他人の困難をわがことに感じる、中国東北人たちの人間力である。
瀋陽は忘れられない街になった。