平井憲夫『原発がどんなものか知ってほしい』(1996)


平井憲夫『原発がどんなものか知ってほしい』を読む。
平井は20年間、原子力発電所の現場で働き、現場監督も務めた。
内部被爆を百回以上して癌になった。
死ぬ前にできることをなにかやろうと、
原発のことで自分が知っていることを
すべて明るみに出そうと決心した(p.7より)。



わずか18頁の小冊子だが、
どんなマスコミの情報より原子力発電所がどんなものであるか、
僕には理解しやすかった。
平井は現場体験でつかんだ事実を
誰にも分かる平易な言葉で語っていく。


全見出しは以下の通りである。
きょうの「デジタルノート」一行目の傍線部をクリックすると
全文を読むことができる。
みなさんが平井のレポートを読んでどんなふうにお感じになるか、
伺ってみたい。
注目してほしいのは平井は1997年に亡くなっており、
今年3月の福島原子力発電所事故については知らないことだ。



  1. 私は原発反対運動家ではありません
  2.「安全」は机上の話
  3. 素人が造る原発
  4. 名ばかりの検査・検査官
  5. いいかげんな原発の耐震設計
  6. 定期点検工事も素人が
  7. 放射能垂れ流しの海
  8. 内部被爆が一番怖い
  9. 普通の職場環境とは全く違う
  10. 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
  11. だれが助けるのか
  12. びっくりした美浜原発細管破断事故!
  13. もんじゅの大事故
  14. 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
  15. 日本には途中でやめる勇気がない
  16. 廃炉も解体も出来ない原発
  17. 「閉鎖」して、監視・管理
  18. どうしようもない放射性廃棄物
  19. 住民の被曝と恐ろしい差別
  20. 私、子供生んでも大丈夫ですか。
   たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
  21. 原発がある限り、安心できない



  筆者「平井憲夫さん」について:


  1997年1月逝去。
  1級プラント配管技能士原発事故調査国民会議顧問、
  原発被曝労働者救済センター代表、
  北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、
  東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、
  福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
  「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、
  閉鎖されました。



ちなみに僕は駅向こうの市場にある肉屋のご主人に
平井レポートがあることを教わった。
ご主人は自発的にこのレポートを
コピー代実費(一部100円)で配布しているのだ。
この方は自分の店で売る肉の安全性についても
店頭にきちんと表記している。
平井といい、先だって国会で証言した児玉といい、
肉屋のご主人といい、市井には気骨ある人がまだまだいる。
自分にできることは少しでも見習いたい。



平井が1997年1月に他界する3ヶ月前、
1996年10月12日、伊藤塾東京校「明日の法律家講座」で講演。
約2時間の講演が10本に分割されてYouTubeにアップされている。
「デジタルノート」には最初の1本(10分)をアップロードした。


(文中一部敬称略)