FBは「報道機関」か、単なるIT企業か


きのうのスクラップブックから。
2017年2月24日読売新聞朝刊。



「論点スペシャル/SNSで分断される社会」。
ハーバード大ニーマン・ラボ所長
ジョシュア・ベントン (Joshua Benton) 氏の言葉。



   今やFB(引用者注:フェイスブック)を使っている人は
   10億人を超えている。
   大げさかもしれないが、
   人類史上、FBに比肩する強大な力を手にしたのは、
   かつての大英帝国ぐらいしか思いつかない。
   (中略)
  

   FBのことを「報道機関」だと考えている人は
   米国で1割を超えている。
   (中略)
  

   しかし、FBは自分たちが
   単なるIT企業に過ぎないと主張している。
   唯一の関心は、利用者がどれだけ長い時間、
   FBを利用してくれるかということだけだ。
   それが、イスラム教徒に対する怒りを
   ため込むことであっても関係ない。



デジタル時代の新技術、新サービスについては
自分で試し、仕組みなり利点を理解、体感しておく必要がある。
頭でっかち、口先だけの似非評論家にはなりたくない。
一方、これだけスマホ中毒、SNS中毒を日々目の当たりにすると、
タバコやアルコールに神経を払う割に、
デジタル中毒を放任する社会、個人が異常に見えてくる。


新種の中毒を仮に「スマホマスターベーション」と名付け、
その新語が社会に浸透したなら、人は自分の行為の異常さに気づくのか。
僕自身はFBの使用を限定的にとどめ、
間合いを計るように立ち位置を変えた。
仕組み、サービスはもう充分理解した。


一例をあげれば誕生日情報を削除したことで、
FBを通じたお祝いメッセージは昨年一気にゼロになった。
家族や友人を除けば、誰も僕の誕生日など覚えてはいない。
それで構わないし、それが自然なことだと思う。
誕生日を迎える友人への祝福を
毎日FBのシステムに強要される方が異常だ。




今朝のデザート。
山形リンゴ&プレーンヨーグルト(蜂蜜とマールを加えて)。
蜂蜜はカナダ・モントリオールの同僚Roger(ロジェ)の土産。
オフィスで養蜂している自家製本格蜂蜜(2013年瓶詰)。
上質な甘みがうれしい。