"After 3.11—最後だとわかっていたなら"

ベルリンスクールが東京にやってきた。
2006年から08年まで勤務先の費用で通い
MBAを取得した学校のアジア・モジュール最終日だ。
社の業務の一環として事前申請し、
会議室を使い、同僚たちに助けてもらう。



(photo: Yoshinori Fujikawa)


オブザーバーを希望する社の後輩たちにも声をかけた。
一期生プレジデントとしてできることをしようと
毎年一回、この時期にセッションを続けている。
2012年から始めて、5回目になった。



(48名の参加者は世界各国から集まった次世代リーダーたち)


前半1時間少々は僕が話し、その後参加者と質疑応答した。
2011年の東日本大震災原発事故を起点として
日本でのコミュニケーション活動を時系列で解析する内容 "After 3.11"だ。
中身は毎回アップデートする。
2017年バージョンをお届けした。



(photo: Yoshinori Fujikawa)

岩手日報2017年3月11日掲載「最後だとわかっていたなら」)


今年は最後に
2017年新聞広告電通賞を受賞したばかりの
岩手日報の3.11広告「最後だとわかっていたなら」を朗読した。
(参加者には英語原文、日本語訳のプリントを配布)
ノーマ・コーネック・マレックの詩(佐川睦訳)を引用し、
3.11の記憶を風化させないために読者にメッセージを送った。
少し長くなるが全文を引用する。


   最後だとわかっていたなら


   あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
   わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
   神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう


   あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
   わたしは あなたを抱きしめて キスをして
   そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう


   あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
   わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう


   あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
   最後だとわかっていたら
   一言だけでもいい… 「あなたを愛してる」と
   わたしは伝えただろう


   たしかにいつも明日はやってくる
   でももしそれはわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら
   わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい


   そして わたしたちは 忘れないようにしたい


   若い人にも 年老いた人にも
   明日は誰にも約束されていないのだということを
   愛する人を抱きしめられるのは
   今日が最後になるかもしれないことを


   明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
   もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから


   微笑みや 抱擁や キスをするための
   ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
   忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
   どうして してあげられなかったのかと


   だから 今日
   あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう
   そして その人を愛していること
   いつでも いつまでも 大切な存在だということを
   そっと伝えよう


   「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
   伝える時を持とう
   そうすれば もし明日が来ないとしても
   あなたは今日を後悔しないだろうから


ノーマの詩の日本語訳に続いて
コピーライターはこう締めくくる。


   明日が来るのは、当たり前ではない。
   3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に。
   岩手日報


最後だとわかっていたなら

最後だとわかっていたなら


ノーマは愛息の想い出を記憶するために
この詩(原題 "Tomorrow Never Comes")を書いた。
10歳だったノーマの長男サミュエルは
池で溺れた子を助けようとして自分も亡くなった。



セッション後半は参加者が5グループに分かれ、
2020年に向けて日本を「クール・ジャパン」として成功させる案を競った。
きょうで上海・東京、二週間のアジアモジュールが終わる。
みんな達成感を持って、東京の街に繰り出すだろう。
Good luck!



社の仲間たちの助けで
なんとか今年も責任を果たすことができた。
解放感も手伝って、
十条・斎藤酒場に久しぶりに顔を出すことにした。
昭和3年創業の空間でしばしたゆたう自分の姿が
ポッと頭に浮かんだのだ。



(文中敬称略)