中南米ツアーの飴と鞭


スクラップブックから。
朝日新聞2017年8月23日朝刊。
後藤正文の朝からロック「中南米ツアーの飴と鞭」



   中南米ツアーから戻って、
   久しぶりに日本の音楽フェスに出演した。
   (中略)


   今回の海外ツアーでは、
   演奏するための環境に恵まれることが少なかった。
   モニタースピーカーから音が出ない。
   音楽に適した会場ではない。
   本番直前まで会場一帯が停電している。
   一部の現地スタッフの士気が著しく低い……。
   (中略)


   そうした環境にひと月ほど浸(つ)かり、
   心身ともに鍛えられてから出演した日本の音楽フェスは、
   ステージ上から楽屋裏のホスピタリティーに至るまで、
   快適を通り越して天国としか言いようのない環境だった。
   環境の悪さとは裏腹に、
   中南米で行ったライブは観客たちが熱狂的で素晴らしかった。
   (中略)


   一方で、日本の観客たちはマナーがいい半面、
   少しおとなしく感じてしまった。
   率直に寂しかった。
   飴(あめ)と鞭(むち)。
   俺たちをタフにした中南米ツアーは、
   俺たちを甘やかしもしたのだと思った。


   (ミュージシャン)



広告に関係するクリエーティブ・セッションを
国内海外で20年以上続けてきた。
後藤が指摘するのと同様な感想を僕も持っている。
セッションを実施する場所が日本であるか、それ以外かは
ほとんど関係がない。


日本人(韓国人も当てはまる)だけが対象か、
日本人がいるとしても少数で、
大多数が多国籍の参加者であるときとでは
反応がまったく異なる。


日本人だけの場合は終わっても質問はまず出ない。
礼儀正しく拍手をしてくれ、
全員がいるときには質問ができなかった人が
終了後、個別に声をかけにくる。
その場合も質問がある訳でなく、
「とてもよかったです」の一言で終わることが多い。



多国籍で、なおかつ場が知的に活性化しているときは、
多方向の質問が飛び出し、
それに答えることでずいぶんと刺激を受ける。
そもそもそうした双方向の、
その場でしか起きえない化学反応を楽しまないのであれば、
講演内容のペーパーを送受信すれば、
わざわざそこに集まる必要もないのではないかと僕には思える。


礼儀正しいことは世界に誇れる態度だ。
礼儀をわきまえた上で世代、性別、国籍を超えて、
挑発し啓発し合える知的な場が僕は欲しい。
自分でも創ってみたい。


(文中敬称略)