私のこころは鮮やかに学ぶことを欲しながら生きる

クリッピングから
朝日新聞2023年6月10日朝刊別刷be
認知症と生きるには」
学びを生涯欲し続けた


  「先生、私はこのごろ自分が言いたいと思うことが、
  言えなくなりました」。
  開口一番、田中京子さん(仮名、初診時72歳)は訴えました。
  物忘れより心配なのが
  「自分の意思を言葉にできなくなるのではないか」という不安です。
  彼女は大学病院で、
  多発梗塞(こうそく)性(血管性)認知症の診断を受けました。
  上手に言葉が出てこない「運動性失語」という状態です。


  田中さんは、近所の公民館に集まり、
  自分の経験を文章にまとめる月1回の「文章の会」に
  10年以上通っていました。
  娘さんは退会を勧めました。
  「母親に恥をかかせたくない」との思いからでした。
  症状の悪化もあり、私も会を引退してはどうかと告げました。


  次の診察日、彼女がある文章を私に見せました。
  「文章の会」入会時に自分の考えを書いたものです。


  「私が学ぼうとしていた時に戦争がありました。
  学校に行かず工場に勤労奉仕に出かけ、
  その工場も家も爆撃のために焼けました。
  結婚して数年後に夫が急死し、
  子ども3人を育てるため、私は働き続けました。
  私には『学』がありません。
  夢はヘレン・ケラーのように努力して学問を修め、
  人に尊敬されるような人になりたかった。
  だから私は、恥ずかしくない文章が書ける人になりたい」。


  娘さんに伝えたところ、
  「母は会に参加することで、
  自分が上を目指して生きていると実感していたのですね」
  と納得してくれ、
  その後も田中さんの会への参加は続きました。


  やがて言葉は出にくくなり、
  美しい文章は書けなくなりました。
  私は彼女の許しを得て、
  会の先生と参加者に事情を話しました。
  全員が彼女の思いに賛同し、
  それから8年間、彼女を支えてくれました。


  彼女が言葉を失い床に伏せる半年前の受診で、
  ある文章をくれました。
  パソコンで娘さんが代筆した文章が載っていました。


  「一生学び続けたいと思った私を戦争が奪った。
  でも、私は病気になっても死ぬまで学び続けようと思う。
  言葉は出なく、字が書けない。
  それでも私のこころは鮮やかに学ぶことを欲しながら生きる。
  私はこうして、確かに今、生きている」。


  田中さんの勇気を忘れることはありません。

        (精神科医・松本一生/イラスト・ふくいのりこ)