ついにわれわれの作品はあの吉永小百合をマドンナに迎えるんだ

クリッピングから
朝日新聞2023年7月8日朝刊別刷be
山田洋次「夢をつくる」19
吉永小百合さんを迎えた喜び


(映画「男はつらいよ 柴又慕情」(1972年)の撮影現場での
 山田さん(左)と吉永小百合=松竹提供)


  追われるように作り続けて、
  8作目の「寅次郎恋歌」(1971年)の脚本を
  旅館にこもって書いているときだった。
  渥美清さんが陣中見舞いに現れたので次の作品の説明をした。


  「失恋した寅が
  冷たい雨に濡(ぬ)れて寂しく去っていく、
  というのがラストシーンかな」
  と僕が言うと、聞いていた渥美さんが
  「そこへスッと傘が差しかけられるというのはどうです。
  寅が振り返ると美女が優しく微笑(ほほ)んで、
  どうぞ、と言う。
  これが次の回のマドンナ」。


  僕は大笑いしながらそれは誰だろうと言ったら、
  渥美さんが「吉永小百合でしょう。
  小百合ちゃんは確か日本テレビの番組で局にいるはずだから、
  今行って頼みましょうか」と言う。
  僕は驚いた。
  渥美さん、今ノッているなと思った。
  脚本や配役について口を出すことは絶対しない彼が、
  そんな口をきいたのはあとにも先にもあのときだけです。


  その翌年、『男はつらいよ 柴又慕情』でその夢は実現、
  衣裳合わせで吉永小百合さんが初めて撮影所に現れる日、
  スタッフはちょっと興奮していたものです。
  ついにわれわれの作品はあの吉永小百合をマドンナに迎えるんだ、
  という喜びでしょうか。
  (略)


  この作品が超満員の劇場で封切られてしばらくすると、
  小百合さんは結婚して
  日本中のサユリストをがっかりさせることになるのだけど、
  彼女が結婚を決めたのはロケ先で渥美さんと語り合ったことが
  大きく影響していたようです。


  「小百合ちゃん、
  役者なんていつやめたっていいんだよ。
  自分の人生が大事なんだ、
  役者をやめたら自分でなくなるなんて考えちゃだめだよ」
  というようなことを言われて、
  そのとき結婚を決めた、という話を小百合さんから直接、
  僕も少々がっかりしながら聞いたものでした。
  (略)

                   (聞き手・林るみ)