松島芳彦『プーチンの過信、誤算と勝算ーロシアのウクライナ侵略』(早稲田新書、2022)

副島英樹『ウクライナ戦争は問いかけるーNATO東方拡大・核・広島』
朝日新聞出版、2023)に引用された本書を連読。
松島芳彦『プーチンの過信、誤算と勝算
ーロシアのウクライナ侵略』(早稲田新書、2022)。



目次は以下の通り。


  まえがき
  第一章 戦端は開かれた
  第二章 不信の底流
  第三章 闇黒の海と大地
  第四章 核を弄ぶ皇帝の命運
  あとがき
  主な参考図書等


「あとがき」から引用する。


  全ては、あのころに始まっていたのだろうか。
  1989年11月にベルリンの壁は崩壊した。
  KGB旧ソ連国家保安委員会)の工作員だったウラジーミル・プーチンは、
  任地の東ドイツドレスデンで東西冷戦の終結を見届けた。
  KGBが「主要な敵」と呼んだ
  NATO北大西洋条約機構)に関する情報収集が彼の仕事だった。
  その意味は薄れようとしていた。


  プーチンは翌1990年1月に、故郷のレニングラードに戻り、
  母校であるレニングラード大学の学長補佐という地位に就いた。
  彼は37歳、長女マリーヤは4歳、次女カテリーナはまだ3歳だった。


  筆者は当時、ロシア語と現地情勢を学ぶため
  レニングラード大学に在籍していた。
  プーチンKGBに所属したままだったから、
  形式的には彼の監視下にあったのかもしれない。
  ただ、祖国動乱の時代に
  外国人留学生の動向に関心を払う者などいなかった。


  学生寮から大学に向かうバスはいつも超満員だった。
  ささいなことで、乗客同士がいがみ合った。
  特に女性たちは不機嫌だった。
  大統領ゴルバチョフペレストロイカは既に失速が著しく、
  経済危機と社会不安がソヴィエト全土を覆っていた。
  主婦の頭は、その日の食料をどう調達するかでいっぱいだったのだ。

                         (pp.223-224)


(松島芳彦訳)



[追記] 2023.10.18

1.
佐藤優による本書書評(2022年9月7日脱稿/日刊ゲンダイdigital同年9月11日掲載)
評者は著者の仕事を評価しながらも留保を付けている。
以下その箇所を引用する。


  ウクライナ戦争について松島氏は、
  ロシア、ウクライナ、欧米の資料を丹念に読み込んで、
  それに自らの評価を加えている。
  同氏はウクライナ発と英国発の情報を信頼しているようだが、
  この点について評者には異論がある。


2.
日本ペンクラブ主催シンポジウム(2023年9月10日実施)
「ソ連崩壊とウクライナ戦争」YouTubeで公開)



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