ヘルメス神が導く名著選びーー大江健三郎と『へるめす』の知(秋満吉彦)

クリッピングから
岩波書店PR誌「図書」2024年2月号
ヘルメス神が導く名著選びーー大江健三郎と『へるめす』の知
秋満吉彦(あきみつ よしひこ・テレビプロデューサー)



  「100分de名著」という教養番組のプロデューサーになって、
  今年で十一年目を迎えた。
  『図書』の読者の中にはご存知の方もおられるかもしれないが、
  NHKEテレで毎週月曜日、夜十時二十五分から放送中の、
  古今東西の名著を一〇〇分という時間を使ってわかりやすく解説していく番組だ。
  (略)


  番組がマスコミに取り上げられる機会も増え、
  記者や雑誌編集者の人たちからは
  「どんなふうに本を選んでいるのか」「講師を選ぶ基準は?」といった、
  毎度判で押したような質問が飛び出してくるのだが、
  選書や講師選びの方法論を明確に言語化できているわけでもなく、
  その場であたふたして、ごくごく最近の例を引き合いに出しながら、
  場当たり的な言葉を探すはめになる。
  情けないこと、この上ない。


  一度だけ、「どうしてそんな質問ばかりするんですか」と、
  ややキレ気味に問い返したことがある。
  取材者も当惑したに違いない。
  だが、正直、これらの質問にはうんざりだったのだ。
  そのときの質問者の意外そうな顔が今でも忘れられない。
  

  「だって、毎回取り上げられる名著も講師も、
   どう考えたって、今、この瞬間、この時代に
   ぴったりのものを選んでいますよね。
   何かコツがあるんじゃないかと思って……」


  そのとき思った。
  どうやら、名著や講師を選んでいるのは、
  自分じゃなかったのだ。
  コツなんてないもの。
  だから驚かれても困るのだ。
  説明なんてできない。
  選んでいる瞬間、おそらく私の心と体は、
  何者かにのっとられて、選ばされているのだ……
  そう考えると、腑に落ちるものがあった。
  そう、私は選ばされている……。


  冗談めかして書いてみたが、あながち嘘ではない。
  私に名著を選ばせているのは、「ヘルメス」という神様なのだ。
  そんなことに、思い至った。



  今を遡ること、ちょうど四十年前、
  岩波書店から一冊の季刊誌が創刊された。
  『へるめす』という、一風変わった名前の雑誌。
  私が大学一年生の頃のことだった。
  今でもよく覚えている。
  大学生協の書籍コーナーに平積みにされていた、
  まばゆいばかりに輝く表紙。
  黒田征太郎が描いた鮮やかなオレンジ色の鳥が
  私の心をわしづかみにする。
  (略)


  もう一つ大事なところに触れておこう。
  私は、この『へるめす』を通して、
  大江健三郎という作家に出会い直した。
  今は岩波文庫に入っている名作『M/T と森のフシギの物語』も
  この雑誌に連載されていて毎号楽しみにしていたものだ。
  (略)



  『へるめす』発刊の少し前に発刊された
  小説『新しい人よ眼ざめよ』をまず手にとった。
  その圧倒的な読後感が今も忘れられない。
  小説なのに、どうしてウィリアム・ブレイクという詩人の詩を
  ここまで深く読み解く描写が続くのか、意味がわからない。
  だが、どうやら、その読解は、
  この小説の筋を時折、ひらめくように照らし出している。
  この横断的なつながりは何だろう。
  (略)


  私が今、プロデューサーとして心がけている作法や流儀の中には、
  大江健三郎の思想や『へるめす』の知が確かに生きている。
  それは、ある瞬間、わが皮膚をつき破り、期せずして噴き出し始める。
  その力に巻かれていくように、面白い出来事が続々と起こっていく。
  計算外に、選んだ名著が時代とぴったり付合してしまうのはそんなときだ。
  (略)