記憶から削除される景色


春から夏までかかった隣家の工事もほぼ完了。
Mさん一家が引っ越してきた。
僕の住む町ではよく観察すると
あちらこちらで建物を壊したり、あらたに作ったりしている。



近所に三軒あった銭湯の一軒S湯は、
ご主人が倒れたのが原因で長期休業に入っている。
一階に銭湯があるマンション全体の工事が始まった。
新築して銭湯が生き残るか、この機会に廃業するか。
たぶん、廃業だと思う。
銭湯を経営する仕事はきつい割りに利益がほとんど出ない。
65歳以上の高齢者に区が配布する入浴券が収入のかなりの部分を占める。
もはや公的補助金なしに存在できない絶滅危惧種なのだ。



電気屋の解体工事も始まった。
人は町の電気屋で製品を買うことはほぼない。
オンラインショップ、安売り家電店で購入する。
電球などちょっとしたものなら100円ショップだ。
どう考えても旧来の電気屋が生き残れる筋書きにはならない。
あの店に働いていたおじさんたちはどうしたのだろうか。
悠々自適で引退できるなら別だが、
そうした経済的幸運に恵まれた人はごく少数に過ぎない。



町は刻々と姿を変えていく。
時代の波に取り残されるもの、消えていくもの。
十数年もすれば、確かに存在したはずの町の小さな景色は
記憶や記録からも削除される。