斎藤秀三郎『斎藤和英大辞典』(1928再版、日英社)


狂気と知性の境目はどのあたりにあるのだろう。
こうした仕事を目の当たりにすると、
ボーダーラインがぼやけてくるのが分かる。
斎藤秀三郎『斎藤和英大辞典』(1928再版、日英社)を手に取る。



個人名を冠した辞書は世に少ない。
斎藤は4,640頁を独力で書き切った。
本全体からいまだにオーラが放たれている。
力強いPreface(序文)。
ランダムに開いた頁を読む。
使いようによって現代でも役立つことに驚く。


いや、役立つなどという言葉が不遜な気がする。
アインシュタインガンジー手塚治虫らを起用したAppleのキャンペーン、
"Think Different" (誰にも真似できない思考)の人がここにも確かにいる。
僕たちは日々の情報の量とスピードに飼い慣らされすぎて、
足元に眠る宝物を掘り尽くし活用することを忘れている。



  (リチャード・ドレイファス起用。幻のオリジナル版 "Think Different")


名著普及会が1979年に縮刷版1,160頁で本書を復刻
幻の書を絶滅させない関係者の努力には無論最大の敬意を払う。
この復刻版なら手が届きそうな価格の古書も見つかる。
が、オリジナルの持つ魔力。
なぜ、こんな厚さの、経典のような和英辞典が必要だったのか。


和英大辞典 (1928年)

和英大辞典 (1928年)


斎藤は序文にその理由を英文でしたためている。
英和辞典とは異なり、和英には無限の可能性があるため、
この大辞典でも決して終わりではないと斎藤は断言している。
狂気と知性が同時に存在し、
手にする者にいまもメッセージを放つ。
生半可な気持ちで手にすれば斎藤の熱で火傷しそうだ。


斎藤和英大辞典 (1979年)

斎藤和英大辞典 (1979年)


1928年は昭和3年
父が生まれた年だ。生きていれば、88歳だった。
この辞書は1928年6月10日に発行された。
僕が手にしているのは6月20日再版の一冊。
出版後、わずか10日で再版している。


熟語本位 英和中辞典 新版 CD-ROM付

熟語本位 英和中辞典 新版 CD-ROM付


岩波が新仮名遣いで10月に復刊した
斎藤の「熟語本位英和中辞典」が初版2,500部。
発売日に1,000部増刷したのが「河北新報」の記事になっていた。
昭和3年に、この大部な和英辞典を買い求めた読者は、
それ以上の熱意、数だったのか。


斎藤秀三郎伝―その生涯と業績

斎藤秀三郎伝―その生涯と業績


  (著者大村喜吉は16歳のとき斎藤の伝記を書く決心をし、
  28年後にその夢を実現。1961年毎日出版文化賞受賞)


本来僕が入手できるはずもない稀覯本だ。
Amazonで調べると、一番安いもので23,296円。
保存のよい古書には、250,000円の値が付いている。
勉強のためでなく、投機の対象だ。アホらしい。


夜な夜な探すともなく検索していたら、
3,000円で一冊出ている(送料はいずれも257円)。
保有する古書店が他サイトにも出品しているので
「売り切れ御免」の一冊だ。


これもなにかの縁なのだろう。
この価格なら僕の財布でも
少し無理すれば買えないことはない。
僕が手元に置いていつでも読めるのは
この機会を逃せば、きっと二度とはやってこないだろう。
この予感はきっと当たってしまうだろうと確信した。


斎藤の狂気と知性の4,640頁がいま僕の目の前にある。
斎藤はさらに「斎藤英和大辞典」をHの項目まで書き続け、
未完のまま翌1929年11月9日逝去。
享年63歳。
凄い仕事をした日本人がいる。


wikipedia: 斎藤秀三郎



   (O.E.Dも狂気と知性がなければ誕生しなかった英語辞書。
   連読で読みたい一冊)


(文中敬称略)