連続シンポジウム第2回「宗教と暴力」(有楽町朝日ホール)


連続シンポジウム(全3回)
「激動する世界と宗教」—私たちの現在地—
第2回「宗教と暴力」を聴きに有楽町朝日ホールに出掛けた。
松岡正剛池上彰、佐藤彰。
いまこれだけの論客を揃えて、このテーマで、
4時間(休憩除く)のシンポジウムを3,000円では聴けない。



今回も8月19日開催の第1回以上に
三氏のテーマへの斬り込みが鋭く、知的刺激を受けた。
小冊子からそれぞれ引用してみる。



   今日の社会はウェブ・ネットワークに覆われている。
   個人のセンシングデータは
   社会経済動向の膨大なアーカイブとともにビッグデータとなり、
   人工知能やロボットが社会のあちこちで
   インテリジェントな活躍をするようになった。

   
   かつては神や仏こそが全知全能であったのだが、
   その座はコンピュータの深層学習によって
   少しずつゆらいでいるかのようだ。


   難問のせいなのか、面倒なせいなのか、
   こういうとんでもないものをメディアや論壇やジャーナルや学問は、
   あまりにもほったらかしにしてきたのではないかと思う。
   いまこそ宗教の本来と将来を問うべきである。
   この連続シンポジウムが「現在地」を抉っていくことに、
   私も荷担する。
        (松岡正剛「宗教の正体に迫りたい」より一部引用)



   真夏の中東でも、
   モスクの中を吹き抜ける風は爽やかで、
   心が穏やかになります。
   夕暮れの街に響くアザーンは、
   「ああ、イスラム社会に来た」と心が震えます。


   ヨーロッパの古都に聳える尖塔を伴った
   教会のステンドグラスを通して届く光の美しさ。
   イエスを抱いたマリアの像は、
   人間は救われる存在なのだという心の安らぎをもたらします。


   伊勢神宮へと続く五十鈴川の橋を渡ったとき、
   聖地に入ったと感じる清涼感。
   京都の産寧坂を降りる夕暮れ、遠くで響く鐘の音。
   ああ、これが日本だと感じます。


   でも、これも宗教なのです。
   国際情勢から日常生活まで、
   宗教が現代に持つ意味について考えてみましょう。
              (池上彰「いま宗教とは」より一部引用)



   今回のシンポジウムで
   私は「2時間でわかる宗教」というような即効性のある話はしない。
   すぐには役に立たないが、
   しかし、人間の思考と魂の根底に迫るテーマについて
   語ろうと思っている。
   このシンポジウムに参加された皆さんに、
   20年後にも私たちが話したことを
   覚えていてもらえる内容にするための努力をしたい。
         (佐藤優「人間の思考と魂の根底に迫る」より一部引用)



第2部に登場した、ともに40代の新進の学者、
高岡豊(公益財団法人中東調査会・上席研究員)、
石川明人(桃山学院大学准教授)の各30分セッション。
なんだか物足りないなぁと感じていたら、
第3部でファシリテーターを務めた松岡が冒頭ですかさず苦言を呈した。


   自分の専門領域だけに籠もるのでなく、
   第1部の池上・佐藤対談が示したように
   テーマの限界スレスレまで出てきて発言してほしい。


口調は柔らかだが、
発言内容は厳しく挑発的だった。


高岡、石川は、
二人の著書等を読み込んだ松岡が起用したに違いない。
池上、佐藤両ベテランに、
若手ならではの新風を吹き込む狙いもあったろう。
イスラム過激派」を定義し論じた高岡に対しては
「つまらなかった」と600人の聴衆の前でハッキリ指摘した。
確かに、つまらなかった。期待外れだった。


絶句する高岡の様子を見て、
佐藤が「松岡さん、きょうはバカに意地悪ですね」とジャブを返し、
池上が、高岡に答えやすいであろう専門領域の質問を投げかけ、
「(松岡さんの攻撃に対する)防衛ジハードですから」とバランスを取った。
佐藤、池上が只者でないことは、
こうした咄嗟の、当意即妙の所作ひとつを見ても歴然だ。


松岡の指摘はもっともで、
松岡、池上、佐藤の三人に対して、
自分の専門分野に安全に立てこもるのでなく、
「知の格闘技」の挑戦者として振る舞ってほしかった。
佐藤、池上も二人を助けると同時に
自分たちに続く後輩に「知の鞭」を振るったように見えた。
筋書きのない、予定調和でないシンポジウムこそ
僕が望んだものだった。



第1部冒頭で佐藤が諧謔に富んだ発言をしたのが印象に残る。


   宗教は曖昧、暴力も曖昧、
   曖昧と曖昧の掛け算で曖昧さが増し、
   曖昧な論客である私たちから曖昧な話を聴いて
   みなさんは曖昧な気持ちで家路につくと思います。


佐藤の発言に対して池上が
否定も肯定もせずやんわりと


   曖昧なテーマではあっても、
   第1部は第1部なりの結論を出しておきましょう。


と返し、自分の発言に責任を持ち、
第1部対談をまとめきった力量はさすがだった。


全3回のシンポジウムの内容は、
朝日新聞が特集として掲載し、
角川書店が2018年に全3巻の書籍として出版予定。
テレビ東京が10月29日、池上の番組で放映予定。


でも、こうした話は木戸銭を払って現場で聴くのが
一番面白いと僕は思うけどね。
行間や雰囲気は活字や映像にはなりにくいものだから。


第3回「宗教と生命(いのち)」は
2018年3月21日(水・祝)13時より有楽町朝日ホールで開催。
申し込み受け付け開始は18年2月予定。
宗教シンポジウム事務局まで。
一般3,000円、学生2,500円。
募集人員600名(申し込み先着順)。


松岡正剛千夜千冊

松岡正剛千夜千冊

(文中敬称略)


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追記(2017年9月29日):


9月26日に参加した同志社講座(通年)
「神学的思考とは何か?(第5回)」で
佐藤講師がこの日の第3部パネルディスカッションに言及。
松岡が高岡になぜあのような攻撃的態度を取ったか、
神学的思考での読み解きを解説してくれた。
詳細は省くが、なんだか腹落ちしてとてもトクをした気がする。
シンポジウム(600名)、講座(100名)両方に参加したのは
僕を含め数名だった。
(文中敬称略)