やすらかに 美しく 油断していた(石垣りん)


スクラップブックから
朝日新聞2018年11月11日朝刊
折々のことば 鷲田清一 1284


   いま在る
   あなたの如(ごと)く 私の如く
   やすらかに 美しく 油断していた。
                石垣りん


   広島に原爆が投下された
   「午前八時一五分は/毎朝やってくる」と、
   詩人は詩「挨拶(あいさつ)」(1952年)に記す。


   核の装備があちこちでなされ、
   地球は「生と死のきわどい淵(ふち)」にあるのに、
   一瞬にしてあまたの命を奪ったあの日の記憶は遠のき、
   人は平和に安らう。
   かつてその健やかな微睡(まどろ)みのすきをついて
   戦禍が始まったことを忘れまじと。



北東アジアにおける核の脅威は
トランプ大統領金正恩最高指導者の協議で
以前より遠のいたとは言え、いまもそこに在る。
僕たちは普段通り起床し、通勤し、仕事し、帰宅し、
猫の世話をして、食事を済ませ就寝する。
そのことに疑問を持たないで過ごすことも
日常の一部になっている。
石垣りんの詩はその行為の連続を「油断」と捉えた。