小室直樹『田中角栄の呪い』(カッパビジネス、1983)

日々の読書の柱の一つとして
小室学探求を続けている。
小室直樹田中角栄の呪いー”角栄”を殺すと、日本が死ぬ』
(カッパビジネス、1983)を読む。
編集者が付けたであろうタイトルはおどろおどろしいが、
示唆に富む真摯な「角栄学」である。


田中角栄の呪い―

田中角栄の呪い―"角栄"を殺すと、日本が死ぬ (カッパ・ビジネス)


「はじめに」から引用する。


   まるで気違いじみた騒ぎだった。
   田中角栄に論告求刑のあった当日と翌日のテレビ、新聞のことだ。
   五年の求刑に、角栄の牙城(がじょう)崩れたりと、
   日本中が狂喜したかのようだ。


   真珠湾パール・ハーバー)攻撃とその大成功を伝えるラジオ放送に、
   国民のすべてが欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した日のことを思い出させた。
   歴史の事実は、その勝利が未曾有(みぞう)の大惨禍への
   序章であったことを伝えている。
   (略)


   私には角栄を弁護しようという意思はない。
   ”角栄学”を確立せんと、事実の断片を、
   学問の方法で組み立てていっただけだ。
   結果として、彼を守ることになるか、
   致命傷を与えることになるか、興味はない。


   ロッキード事件も金脈問題も、独立して存在しているのではない。
   問われるべきは、日本の政治体質そのものであり、
   デモクラシーになじまない儒教の倫理である。
   

   ただ心情的な”反角”の声だけが高い今、
   どうしても伝えねばならないことだけを書いた。
   日本のデモクラシーが危ういからだ。
                      (p.3)


小菅・東京拘置所に108日間拘留され、
10億円の保釈保証金を納付して3月6日に保釈された
カルロス・ゴーン日産元会長がありし日の角栄の姿に重なる。
小室が本書で指摘した日本社会の歪(いびつ)さは
過去の遺物になった訳ではないことを知る。
儒教の倫理でデモクラシーを否定する「裁き」に
安易に踊らせてはならないと僕は思うのだ。


本書は公立図書館で
しばらくの間、待機状態だった。
読んでいる人は今でもちゃんと読んでいるんだなぁ、
と市井の読書人の層の厚さに感心した。