佐藤優・中村うさぎ『死を語る』(PHP文庫、2017/毎日新聞出版、2015)

二人の対話の呼吸がいい。
お互い遠慮せず、歯に衣着せずに(でも、品は損なわずに)
キャッチボールをしている様子が
観客席から眺めていても心地いいんだね。
佐藤優中村うさぎ『死を語る』(PHP文庫、2017)を読む。


死を語る (PHP文庫)

死を語る (PHP文庫)


あとがき(中村)から引用する。


  本文中でも言っているが、
  そもそもこの対談本の当初のテーマは「男と女」であった。
  男と女の愛と性、両者における決定的な差異などについて、
  大いに語り合おうではないか、と意気込んでいたのだが、
  始まってすぐ私が病(やまい)に倒れて入院し、
  あろうことか三度も死にかけてしまった。


  まぁ、後の二回は「呼吸停止」に留(とど)まったが、
  最初のやつは「心肺停止」と「除脳硬直(じょのうこうちょく)」
  (いわるゆ「脳死」)という状態で、
  病院側の措置(そち)が迅速(じんそく)で一命は取り留(と)めたものの、
  少しでも遅れていたら今頃私はこの世にいないか、
  あるいは植物状態で意識なく眠り続けているところだった。


  そんなわけで、対談のテーマは急遽(きゅうきょ)、「死」になった。
  せっかく死にかけたんだから、
  それについて語ってみようという話になったのだ。
                              (pp.246-247)


同じく中村の「死と家族—文庫化によせて」から引いてみる。


  佐藤さんとのこの対談から月日が経(た)ち、
  入院先で心肺停止した事件も、もはや4年前のことになってしまった。
  当時は車椅子(くるまいす)だったが、今は夫に支えてもらいながら
  杖(つえ)で歩けるまでに回復し、服用していた薬の量も減ったので、
  だいぶ元の自分に戻ってきたと思う。
  (略)


  家族とは、死にたいほどの絶望の中でも
  「死んではいけない」と囁(ささや)きかける、
  ある意味、重い重い約束なのだ。
  家族になった以上は、相手に対して「生きる責任」が発生する。
  そして人は、それを「生き甲斐(がい)」に転じることもできるのである。


  野生動物と違って、人間は独りでは生きていけない生き物だ。
  他者との関係性の中で己を確認し、
  良くも悪くも「しがらみ」に生きる社会的生物である。
  その「社会」の最小単位が「家族」なのだとしたら、
  我々は生きる意味を見つけるために家族を作るのかもしれない。

                  2017年6月 中村うさぎ
                          (pp.252-253)


10月から佐藤・中村コンビでカフカ『城』を読み解く講座
同志社東京サテライトオフィスで開講する(聴講生募集中)。
「これは聞き逃せない!」とさっそく申し込んだ。
カフカ『城』テキストブック、
本書を含む佐藤・中村対談本3冊を古書店サイトで購入し、予習し始めた。


今回の同志社講座は1コマ(90分)あたり2,000円。
神学講座が1コマ(月1回90分)3,000円だから実に良心的な価格設定だ。
2コマずつ毎月1回開かれ、全28回、2020年11月に終了予定。
同志社神学部学生たちが京都から遠隔講義システムで参加するのも楽しみだ。
少し先の目標を持つと、日々の生活に張りが出るような気がしてくるね。



本書は2015年、『死を笑う—うさぎとまさると生と死と』の書名で
毎日新聞出版から単行本化。
文庫化にあたって加筆・修正・改題した。
おそらく「死を笑う」という言葉を忌避して改題したのだろう。
「死」を笑うことは現代においてもタブーなのだと思う。
それこそが本書のテーマのひとつになっている。


城―カフカ・コレクション (白水uブックス)

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