中村うさぎ/佐藤優『聖書を読む』(文藝春秋、2013)

素朴な疑問、自分なりの仮説、遠慮のない反論。
作家・中村うさぎが、作家であり神学者でもある佐藤優
自由奔放にぶつける「つぶて」の連続によって
普段縁遠い感じのする聖書の中味が立ち上がってくるような気がした。
中村うさぎ佐藤優『聖書を読む』(文藝春秋、2013)を読む。


聖書を読む (文春文庫)

聖書を読む (文春文庫)


佐藤優の「あとがき」によれば、


  一緒に聖書を読まないかという私の提案を中村氏が受け入れてくださり、
  ユニークな聖書研究会が始まった。
  その成果の第一作は、一昨年(引用者注:2011年)の七月に上梓した
  『聖書を語る—宗教は震災後の日本を救えるか』(文藝春秋)だ。
  ここでは福音書を中心に
  イエスが救い主(キリスト)であるということについて議論した。


  本書は、その続篇で、
  「創世記」「使徒言行録」「ヨハネの黙示録」の精読を通じ、
  人間の罪と悪について徹底的に議論した。
  (略)
  本書は、日本語で読むことができる
  神学的な思考法を知るための最良の手引きであると自負している。
                               (p.364)


一方、中村は「まえがき」でこう書いている。


  特に旧約聖書の「創世記」なんかは、
  アダムとエバだのバベルの塔だの、有名なお話がたくさん入っているんだが、
  みんな物語は知っていても、それを巡る解釈や考察などは
  他人任せって人が多いんじゃないだろうか?


  でも、それはもったいない。
  メタファーに富んだ物語だからこそ、
  自分なりの解釈をする楽しみがあるんだから。
  本来、聖書はそう読まれるべきなんじゃないかって私は思う。
  偉い学者がこう言ったとか関係なく、
  ひとりひとりが自分で解釈した物語を心に刻むのだ。
  それが神話ってものだろう。


  だから、従来の説に惑わされず、
  聖書のメタファーを自分なりに読み解いていきたい……
  と常々、私は思っていた。
  ただ、それをやるには、的確な導き手が必要だ。
  「指輪物語」のホビットたちが賢者ガンダルフの導きを必要とするように、
  聖書の旅には深い知識と思慮を持つ案内人が必要なのだ。


  そこで、以前にも聖書やキリスト教について語り合った佐藤優氏を賢者と頼み、
  私は今回の旅の導き手をお願いしたのである。
  (略)


  その一方で、その知性は貨幣を生み、
  数々の贅沢や悦楽を手にしていくのであるが、
  神はそれをことごとく忌み嫌い、堕落と断じて滅ぼしていくのである。
  バベルの塔然り、ソドムとゴモラ然り、
  そしてその集大成が「ヨハネの黙示録」に描かれた「大淫婦バビロンの滅亡」だ。


  神はなぜ、人間が知性を持つことを嫌うのか? 
  これが私の長年の疑問であった。
  今でもそれは解けていないが、これからずっと私は考え続けるだろう。
  この本で語り合ったことを糧に、私の旅はまだまだ続くのだ。
                             (pp.8-9)


佐藤・中村コンビによる同志社講座「カフカ「城」を読む2」に申し込んであるが、
目下、コロナウイルス感染拡大予防のため開講見合わせになっている。
二人の対談本は三冊出ていて、どれも面白く、再読・再々読に耐える内容だ。
講座再開を楽しみにしながら、本書を読了した。


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