池内紀『今夜もひとり居酒屋』(中公新書、2011)

文字を追いながら、どこかの町の夕暮れ時、
僕もふらり寄り道している。
池内紀『今夜もひとり居酒屋』(中公新書、2011)を読む


今夜もひとり居酒屋 (中公新書)

今夜もひとり居酒屋 (中公新書)


「影法師のキャリア」と題されたエッセイから引用する。
プラハで、ブダペストで、カリーニングラードで、
著者がどうやって居酒屋を見つけたか、
そのコツを読者に伝授するくだりである。


  (略)
  ガイドブックに出ていないのに、どうやって見つけるか?
  それもいかにして、いい店に行きつくのか。
  ごく簡単である。


  町の中央部、官庁や銀行や
  商工会館などの立ち並ぶあたりの夕暮れどき、
  かの地の人は残業といった特別奉仕をイヤがる。
  だから業務の終了時刻とおぼしいころに勤め帰りを待ち受けている。


  背すじをのばして、一人でトットと歩いていくのは用がない。
  二、三人づれ、ネクタイをゆるめかげんにして、
  にこやかに言葉を交わし合っている。
  日本の居酒屋に通い慣れた人なら、
  ひと目で寄り道組の識別がつくものだ。


  表情なり、しぐさなり、笑い声なり、足どりなどが歴然と、
  これから自分たちだけのたのしみの場に向かうことを告げている。
  妻にも上司にも隣人にも牧師にも見せない、特有の顔。
  立ちどまって相談するような雲行きのケースはパスしよう。
  暗黙のうちに足が進んでいくといったのが狙い目である。


  おなじみ客の通う店にハズレはないと思っていい。
  だからうしろについていく。
  三つ星レストランの並ぶような明るい通りをあとにして、
  一つ二つと路地裏に入っていく。
  

  細目の道がうねっていて、石畳がすりへりかげんで黒ずみ、
  両側の壁もいぶしたように黒々としていると、しめたものだ。
  やにわに姿が消えたりするが、
  ドアが少し奥まっていたり、地下にあったりするからである。
  (略)


寄り道の先に楽しいことだけが待っている訳ではない。
著者は先刻承知だ。


  どの場合も好奇心から訪れたまでで、
  おすすめしているわけではない。
  居酒屋がレストランではないように、
  居酒屋の食べ物、飲み物はレストランのものとはちがっている。


  同じ材料のチーズやソーセージにしても、
  居酒屋ではやたらに辛かったり、苦かったり、
  ビールが味づけに仕込んであったり、
  風土が生んだ呑み助の舌に合わせてあって、
  行きずりがたのしめる味はめったにない。
  旅行者用のレストランで食べるのが無難でもあり、またうんとうまい。


  アルコール類にしても、やたらに強いのを
  湯や水やビールで割ったのが出てくる。
  これも風土なり気質なりと不可分であって、
  飲み慣れぬものは当然のことながら舌がイヤがり、喉が拒み、
  胃袋が受けつけず、ホテルにもどってモドしたりする。
                       (p.177〜180)


そんな思いをしてまで人はなぜ寄り道するのか。
答えがあらかじめ分かっているなら、
異国で路地裏になど迷い込まないだろうね。


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