初読ではとりとめのない内容だなと思った。
その後、文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」
(月〜金、13:00〜15:30)を聞くようになり、これが味なんだと気づいた。
大竹まこと『俺たちはどう生きるか』(集英社新書、2019)を
線を引きながらところどころ再読。
印象に残った箇所を引用する。
自分がどんな精神状態になるのか、
渦中にいる人には判断ができない。
私が担当しているラジオ番組の月曜から金曜のレギュラー陣の中に、
はるな愛とタブレット純がいる。
二人とも、「変わった形の石(LGBT)」である。
一体どんな青春時代を送っていたのだろう。
二人の了解を得て、生放送で聞いた。
はるな愛は、高校時代、まだ普通の男子を装っていた。
それでもまわりの生徒は、敏感に感じとったのだろう。
長くイジメにあっていたと話す。
大阪の片側四車線の広い幹線道路にかかる歩道橋に立ち、
いつ死のうか迷っていた。
次のあの白いトラックが来たら、飛びこもうとも思ったらしい。
父親も当時は飲んだくれ、家は荒れていたと目を赤くして話した。
それでも、父親を含めた家族のことを考えて、思いとどまったという。
そのうえ、まだはるな愛は男子であった。
どうせ死ぬなら、一度、とても可愛い女の子になってからでも
遅くないと考えていたらしい。
絶対、可愛い女性になりたかった。
それまでは死ねないと話した。
タブレット純は、
いつも自分は生きていても仕方がない人間だと思っていたらしい。
はるな愛と同じく、みんなにイジメられていた。
小学生の頃から、自分が人と違うことに気づいていたが、
やはり誰にも話せなかったという。
そして、芸能界に入り、ムード歌謡のプリンスとして売れ出すのだが、
ステージにシラフで立てず、いつも酒をずいぶん飲んでから、
人前に立って歌っていたと答えた。
歌は続けていたが、ある時、その流れでお笑いのステージに立った。
みんなに笑ってもらった時、
初めて、生きていていいのかもしれないと感じたという。
中学生の時、純は、テレビ番組で暴れていた私をみて、
こんな人でも生きていると思ったらしい。
名誉なのか、不名誉なのか。
誰もが危険な溝をギリギリ渡り、今日を生きている。
二人は、あの時に死ななくて良かったとも語った。
生きていなければ、何も語れないし、今の活躍はない。
やっぱり死んじゃいけないんだ。
(pp.128-130)
(直筆原稿。語りおろしのような文章が大竹さんの味だった)
ああ、大竹さんはこのラジオ番組で「一座」を率いているんだな。
最初は内輪話のようにしか聞こえなかった会話に入っていけるようになると、
一座を構成する芸人たちの魅力が俄然見えてくるようになった。
局のアナウンサーも、テレフォンショッピングの担当者も
この番組では「芸人」に変身している。
「座長」のようにみんなに慕われる大竹さんはこうつぶやく。
月曜から金曜で続けているラジオが
この春(引用者注:2019年春)、三〇〇〇回を迎えた。
一二年間続けた計算になるが、私の力ではない。
みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた。
聴いてくださる方々や実に辛抱強く、そして私を許した。
まるで父のようでもある。
(p.188)
(腰巻のイラストレーションはタブレット純)
本書は、『青春と読書』(集英社)の連載『平成消しずみクラブ』
(2017年7月号〜2018年6月号)を元に加筆・集成
(タブレット純はラジオ日本で番組を持っている)