自分にとって本の「読み頃」というのがあるみたいだ。
気になっていてもその時が来るまではなかなか手が出せない。
3月12日放送「高橋源一郎の飛ぶ教室」(NHKラジオ第一)で
近著『福島モノローグ』が紹介され、
著者自身が二コマ目のセンセイとしていらしたことで、
この本にごく自然に手が伸びた。
いとうせいこう『想像ラジオ』
(河出書房新社、2013/河出文庫、2015 )を読む。
(カバーデザイン:岡澤里奈、解説:星野智幸)
物語はこんな文章で軽快に始まる。
こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
こういうある種アイマイな挨拶(あいさつ)から始まるのも、
この番組は昼夜を問わず
あなたの想像力の中でだけオンエアされるからで、
月が銀色に渋く輝く夜に
そのままゴールデンタイムの放送を聴いてもいいし、
道路に雪が薄く積もった朝に起きて
二日前の夜中の分に、
まあそんなものがあればですけど
耳を傾けることも出来るし、
カンカン照りの昼日中に
早朝の僕の爽(さわ)やかな声を再放送したって
全然問題ないからなんですよ。
でもまあ、まるで時間軸がないのもしゃべりにくいんで、
一応こちらの時間で言いますと、
こんばんは、ただ今草木も眠る深夜二時四十六分です。
いやあ、寒い。
凍(こご)えるほど寒い。
ていうかもう凍えてます。
赤いヤッケひとつで、降ってくる雪をものともせずに。
こんな夜更(よふ)けに聴いてくれてる方ありがとう。
申し遅れました。
お相手はたとえ上手のおしゃべり屋、DJアーク。
もともとは苗字(みょうじ)にちなんだあだ名だったんだけど、
今じゃ事情あって方舟(はこぶね)って意味の方のアークが
ぴったりになってきちゃってます。
(pp.9-10)
DJアークの自己紹介がこの後に続き、
いまどこから放送しているか、明らかにする。
それがこんなことになっちゃった。
高い杉の木の上に引っかかって、
そこからラジオ放送始めるはめになった。
思いもよらない事態ですよ。
いまだに狐(きつね)につままれたみたいな気分で、
お互いわけわかんないですよね。
杉の木?
引っかかるってなんだよ、的な。
あ、このへんで曲かけた方がいいですかね。
じゃ、番組最初の一曲。
1967年、ザ・モンキーズで『デイドリーム・ビリーバー』、
お聴き下さい。
(p.14-15)
(以下、ネタバレあり)
想像ラジオはわずかの例外である生者を除いて、
3.11ー2011年の東日本大震災で亡くなった方にしか聞こえない
「死者のためのラジオ」だ。
SNSのようにリスナー同士の会話をリスナー全員で共有できる
多数同時中継システムを備えている。
読み進めるうちに、
生者と死者の住む領域の境界線があいまいになってくる。
死者たちをごく普通の人たちとして身近に感じられるようになる。
あれ?
この話、最近どこかで聴いた気がするな。
若松英輔さんの「100分de災害を考える」(Eテレ)の
第二週講義、柳田国男『先祖の話』だ。
NHK 100分 de 名著 100分de災害を考える 2021年 3月 [雑誌] (NHKテキスト)
- 発売日: 2021/02/22
- メディア: Kindle版
テキスト表紙には
柳田のこの著書にこんなキャッチコピーが付いている。
見えざる隣人としての「死者」
若松さんは「死者とともに歩む未来」として
テキストにこう記している。
一方で、常民の常識は「死者のつながり」を照らし出し、
生も死も「私」のものではなく、「私たち」のものとします。
これは、数々の災害を経験した私たちにも
求められている視点ではないでしょうか。
(NHK「100分de名著」テキスト
2021年3月「100分de災害を考える」、p.53)
そして、この週の講義を次の文章で終える。
私たちに必要なのは、
死者との関係を確かめるための
新しい言葉でも場所でもありません。
むしろ、内なる世界で経験されていることを、
ゆっくり思い出す時間なのではないでしょうか。
(前掲書、p.54)
若松さんの文章によって、
『想像ラジオ』と柳田の『先祖の話』が
僕の内なる世界でつながった。
講義を聴いたときにはもう一つピンと来なかった柳田の文章も
『想像ラジオ』を読んだ後で読み返すと
理解がグンと深まった気がする。
それは新たに学んだ知識ではなく、
自分がもともと識(し)っていたことだったのか。
そのことを思い出すために
僕には10年という時間が必要だったのか。