茨木のり子『倚りかからず 』(ちくま文庫、2007/筑摩書房、1999)

新聞の全5段広告で表題作「倚りかからず 」がいいなぁ、
と思ってその日のうちに隣町S書店で購入。
茨木のり子『倚りかからず 』(ちくま文庫、2007)を読む。



本書に収録された18篇の詩から一篇引用する。


  お休みどころ

  むかしむかしの はるかかなた
  女学校のかたわらに
  一本の街道がのびていた
  三河の国 今川村に通じるという
  今川義元にゆかりの地

  白っぽい街道すじに
  <お休みどころ>という
  色褪せた煉瓦いろの幟(のぼり)がはためいていた
  バス停に屋根をつけたぐらいの
  ささやかな たたずまい
  無人なのに
  茶碗が数筒伏せられていて
  夏は麦茶
  冬は番茶の用意があるらしかった

  あきんど 農夫 薬売り
  重たい荷を背負ったひとびとに
  ここで一休みして
  のどをうるおし
  さあ それから町にお入りなさい
  と言っているようだった
  誰が世話をしているのかもわからずに

  自動販売機のそらぞらしさではなく
  どこかに人の気配の漂う無人である
  かつての宿場や遍路みちには
  いまだに名残りをとどめている跡がある

  「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」
  ぼんやり考えている十五歳の
  セーラー服の私がいた

  今はいたるところで椅子やベンチが取り払われ
  坐るな とっとと歩けと言わんばかり

  *

  四十年前の ある晩秋
  夜行で発って朝まだき
  奈良駅についた
  法隆寺へ行きたいのだが
  まだバスを出ない
  しかたなく
  昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると
  その待合室に 駅長さんが近づいてきて
  二、三の客にお茶をふるまってくれた
  ゆるやかに流れていた時間

  駅長さんの顔は忘れてしまったが
  大きな薬缶と 制服と
  注いでくれた熱い渋茶の味
  今でも思い出すことができる

          (pp.40-46)


    本書は一九九九年一〇月、
    筑摩書房から刊行された『倚りかからず 』に、
    「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の三篇を増補した。
    なおこの三篇は、茨木のり子自選作品集
    『茨木のり子集 言の葉』全3巻を編まれた際の
    書き下ろしである。

                         (p.137)